三十路男のエトセトラ #4

 苦境は、友を敵に変える  〜ユリウス・カエサル〜

 誰しも、一つや二つ嗜好するものがあるだろう。アルコール、甘味、カメラ、筆記具、人それぞれだが、私の場合はまずもってタバコである。
 
 もし何かの間違いで、私にこの十数年間を自伝にしてくれという依頼がきたとしたらなんの迷いもなく、『私はタバコを吸っていました』と勢いよくタイプしiPadの電源を切るだろう。
 
 そんな私の人生の大半を占めている喫煙という行為が昨今、苦境を迎えている。
 
 そう、タバコを吸える場所が著しく減ってきているのだ。
 
 このままではこの先の人生で、自伝を書いてくれ と頼まれた時に書くことがなくなってしまいそうであるし、丁度目の前には三度の飯よりタバコが好きな友人もいることだし、私はこの苦境に立ち向かうべく筆をとっている。
 
 タバコを吸わない人にとって、「同じ空間」つまりは一つながりの空気を共有する場において、タバコの煙が迷惑だということなんぞは重々承知している。はっきり言って、重度のニコチン中毒者である私も、隣の誰かの煙がぷかぷかと漂ってくるのは好きではない。
 
 少なからず、健康に害を及ぼす代物であるのは疑いようもないことだし、喫煙をしない人がマジョリティであることもわかっている。欧米諸国ではもはやタバコを吸うなぞはナンセンス、麻薬中毒者となんら変わりなく、豚箱にでも閉じ込めておけ  とでもいった世論になっていることも知っている。
 
 ただ、少し待ってほしい。なにも我々愛煙家は電車の中であろうが、病院であろうが、おおよそ人間が立ちいるであろう全ての場所でタバコを吸えるようにしろと要求しているわけではない。猫の額のようなスペースでかまわない、陽のあたらぬ路地裏だっていい、我々が自らの肺に煙を満たせる場所を残して欲しいと願っているだけなのだ。

 弱者を迫害し、マイノリティーを弾圧し、魔女狩りを行うことがはたして人として美しい行為なのか? いいや、それは断じて違う!人類はそういった帝国主義から自由を勝ち取るために歴史を刻んできたはずだ。私は禁煙を迫る全ての人達に問いたい!!   自由とはなんぞや!愛と平和とはなにか!! 博愛の心を持ち、弱気を助け、強気を挫く  これこそが人としてあるべき姿なのではないのか?
 
 我ながらいい演説だ、キング牧師に勝るとも劣らぬ熱量がある。
 今頃、日本中の愛煙家達は感動のあまりにむせび泣き、禁煙を迫る帝国主義者達は己の高慢を悔い、壁に頭を打ちつけずにはいられぬはずだ。    
 これにて一件落着、勝利の紫煙をくゆらそうと友に目をやると未だかつて見たことがないほど真剣な顔で「禁煙セラピー」を読んでいました。

 ブルータス、お前もか。  

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