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コロナと盲腸を同時にやって大変だった話 ~①あれっ!? お前陰性じゃなかったの??~

 8月某日深夜ーー。
 俺は病院の陰圧室の中で横たわっていた。
 陰圧室とはざっくり言えば、コロナ陽性者を一時的に隔離するところで、窓一つない白い壁で覆われ、天井から監視カメラがぶら下がっているだけの殺風景な部屋だ。ベッドの脇にはこれから入院するために使われるはずだった点滴が、まだ俺の身体に栄養を届けていた。

 どうしてこんなことになってしまったのだろう。これからどうなってしまうのだろうか。
 俺はこれまで起きたことを思い起こしていた……。


①あれっ!? お前陰性じゃなかったの??

 

 陰圧室に入る一週間前に話は戻る。
 2か月前に不幸にも襲われたぎっくり腰を乗り越え、間もなく訪れる夏休みに心をぴょんぴょんさせながら、辛いシフトと戦っていた頃だった。

 ん? 喉痛いな……。

 話したりする分には全く痛くなかったが、喉の表面に痛みを感じるようになった。のど飴をなめたが、のどぼとけは痛くないので効果はない。変な痛みだなと思っているうちに、今度は身体がだるくなってきた。しかし体温を測ってみても、35度台。哺乳類かお前?
 咳も出ない。熱もない。コロナの症状というよりは夏風邪に近いなと思っていた。ところが……。

 蝉の声も聞こえない早朝、突き刺すような激しい喉の痛みで目が覚めた。次の瞬間感じたのは泥のように重くて、溶けるような熱さだった。身体から警告音が鳴り響く。終わった、これコロナだ。
 このとき、俺は全く喋ることができなかった。飲み食いもできないほど喉が炎症していたのだ。体温を測ると38.6℃。良かった、俺は哺乳類だったらしい。いやそんな場合じゃねえええ!! 病院だ!

 しかし不幸かな。その日は日曜日。病院は空いていない。
 しかも抗原検査が手元になかった。

 同居している両親の力を借りて東京都に連絡を取ると抗原検査を月曜日の午前に届くようにするから月曜日に病院に行ってくれとのことだった。
 だが抗原検査は月曜日の夕方まで届かなかった。ペリカン、許さない。

 熱さでうなされる夜を越えると、今度は微熱になった。さいわい、午後から診察を受け付けてくれる病院が見つかり、早速向かった。
 その頃のコロナといえば、感染者数が爆発していて、PCR検査の前に抗原検査を受けてほしいと呼びかけられていた。ところが、私が診察室を訪れると、現れたのはPCR検査。ペリカンは病院に敗北したのだ。
 人生初のPCR検査を受け、ドキドキしながら自宅で待機していると、翌日、陰性の結果の連絡がきた。晴れて俺はコロナではなく夏風邪であることが証明され、職場復帰となった。のどの痛みもだいぶ和らぎ、少しなら飲み食いも問題なくなっていた。やったー! 良かったあ、コロナじゃなくて……。

 お主はこれが見えぬか、陰性じゃよ、陰性じゃ! と意気揚々と翌日出社。この経験をnoteに今度まとめようと思いながら仕事を始めたそのときだった。

 ん? お腹痛いな……。

 あれ、おっかしいなああ? お腹痛いなああ? 腸の雑巾絞りのような痛みがじわじわと続き、思わず顔をしかめた。トイレに向かうと下痢になっていた。夏風邪の影響だろうか。
 しかし、腸の雑巾絞りは容赦なく続く。帰宅する頃には、激しい痛みによってご飯を食べることも、歩くこともままならなかった。もう焼けるように痛かった喉のことなんか忘れていた。その日は気を失ったように眠った。メガネをかけたまま朝まで寝たのはこれが人生で初めてだった。

 でも俺は出社を続けた。今思えば、休め、バカって話だが、これには訳がある。実はこの腹痛は人生で二番目の痛さだったのだ。え? 一番は何かって? 中国で生野菜と蓮の種を食してやってしまったときです。つまり、中国のときより痛くないから大丈夫だろっと思っていたのだ。
 
 だが現実はそんなに甘くない。
 腹痛は良くなっているが、全然収まらない。しかも今度は鼻水が止まらなくなってきたのだ。身体もだるくなってきた。
 その日は泊まり勤務で、周囲から始発で帰宅して病院するように助言された。本当にありがたかった……。実際、朝仕事している頃には、もう机にうつ伏せていた。
 鉛のように重い身体を引きずり、地獄の大江戸線から脱出した俺は、ほうほうのていで自宅に帰還した。ちなみにこのときの体温は36℃。本当に熱あるのか? やっぱり哺乳類じゃないのか?

 そして午後。
 再び陰性の免罪符を振りかざし、近くの病院に行くと、あっさりと、ただの腸炎と診察された。CTを使っても何も見つからないと言われ、そのまま帰宅するよう促された。だが、俺は不安だった。だったらこのお腹の痛みの原因はなんだろう。もっと調べてほしいと訴えてみたところ、エコーを受けさせてもらえることになった。
 エコーの医者も何もないねえ、と言いながら診てくれた。じゃあやっぱりただの腸炎なのか。厄介なやつだったなと苦笑いしようと思ったそのときだ。

 ぎゃああああああああああああいたああああああああああああああいたああああああああああああああああああaaaiiiiiiii!!

 医者の手が止まる。
 医者の顔が曇ったのが分かった。部屋の奥にいた看護婦が緊張した面立ちでその様子を見ている。
 なにが見つかった。俺はすぐに採血も受けることになった。

 再び診察室に入ると、医者が何か慌ただしそうにしている。殴り書きのような紙を渡される。そこに書かれていたのは、

・急性虫垂炎
・結石+ 14ミリ

 というものだ。なんだかよく分からない。首を傾げていると医者が早口で説明をしてきた。
「虫垂炎、つまり盲腸が炎症しています。これは薬でなんとかなるかもしれませんが、結石、つまり石が虫垂を塞いでいます。これをとらないと将来、盲腸に穴が開きます。手術する必要あるけど、内科では扱えないから、専門の病院を探す。でもコロナ渦で、もう金曜の午後だから見つかるまで時間かかるから遠くまで行くことを覚悟して」

……。

……。

……。

えええ……?????

手術……?????

 なんか、すっごい大変なことになっていたらしい。すぐさま専門の病院探しになったが、これがなかなか見つからない。やっとのことで見つかったのは診察から3時間後、二つ先の市にある病院で、救急外来で診察することになった。

 バクバクと鼓動する心臓を抑えながら、両親の運転する車に乗り、すぐに専門の病院へ向かった。再び採血を取り、人生で初めてCTを撮った。その間も鼻水は止まらない。身体も若干だるかった。でも全部、お腹のせいだと思っていた。それに俺は陰性だ。

 現れた医者は、チャラくて若い人だった。つまり陽キャ。俺とは住む世界が違う。なんだけど、誰かさんの影響なのか、すっかり心を許してしまった。軽く、でも親切に、どれほど手術が必要なのか教えてくれた。もしここで結石と虫垂をとらないと、将来、破裂する危険もある。しかも14ミリは大きい方。全身麻酔、そして初めての手術は怖いかもしれないが、ここで勇気を出すときだ。
 俺は決心した。承諾書にサインを書いた。
 そして人生初の点滴が、左腕に刺された。ここまで書いていなかったが、俺は針全般が苦手だ。採血や注射のたびに横にならないと気分が悪くなってしまう。なのにその日は何回も針を使って、もうヘロヘロだった。
 これが最後の針だ。入院前のPCR検査も終え、翌日の9時から手術することが決まった。静かな救急外来室の中で、俺は緊張していた。一体どんな手術になるのだろうか。気を失わないだろうか。お金はどうなるんだろう。
 そこへ渋イケメンのおじさん医者が現れた。渋イケおじ医者は、俺の乗ったストレッチャーを動かし、家族もついてくるように指示してきた。

 いよいよ入院か。しかし、どうも行き先がおかしい。横たわって見えるのはビニールで区切られた部屋。関係者立ち入り禁止。ここから先、専用の服に着替えて。消毒して。……ん?

 ストレッチャーが陰圧室に入る。渋イケおじ医者が口を開いた。
「状況が変わりました。先ほどPCR検査の結果が出て、陽性と分かりました。対応を考えますので、しばらく陰圧室にいてください」

 重たく閉まる陰圧室のドア。
 頭を抱える両親。目が点になる俺。陰性の免罪符が破れる音がした。

②病院たらい回し編に続く……

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