座右の銘「推しは推せるときに推せ」
誰がどこで言ったのかわからないが、ネット上で知ったこの言葉が、私にとって現時点での座右の銘である。
私が小学生の時、忌野清志郎さんが亡くなった、それまで音楽に興味が全くなく、そのほかの分野でも当時居候していた父方の叔父から英才教育を受けていた阪神タイガースの事は好きだったが、所詮は自分から率先して興味をもった物ではなかったのでそこまで熱をもって応援していませんでした。
清志郎さんが亡くなった数日後にドライブ中に流れてきた、親父がMDに録音していたNHKFMの追悼番組の中で流れてきた「ぼくの好きな先生」とという曲を聴いて初めて忌野清志郎さん(RCサクセション)を知り、当時の自分としては考えられないような歌詞、特徴的な歌声、なんだかよくわからないが心の奥がざわざわしてなによりかっこいいと感じ、
その日から、親父からMDを仮り、CDをプレゼントしてもらい、パソコンを勝手に使っては色んな事を調べ、(ザタイマーズ)にたどり着いては大喜びした。だけど、好きになればなるほど「ライブが見たかった」とか「清志郎さんが生きていれば、今頃どんな曲を作っていただろう。」と思うけれど清志郎さんが戻ってくる訳ではない、このジレンマにぶつかりました。
思い返してみれば、小学生の頃に、人生で初めて心から好きになった人物との出会いからしてこの言葉の真意をかんじる体験をしていたのでした。
時は流れて、プロフィール記事にも書いた通り、「夢の外へ」という楽曲が使われていたTVCMを見て星野源さんを好きになったその年にレコーディング中の源さんをくも膜下出血が襲いました
そのニュースを聞いた時に一瞬にして清志郎さんの時に感じたジレンマの感情が思い出されて怖くなってそれからの二、三ヶ月間は一気に気分が落ち込んで何も手につかない状態になりました。
星野源さんは見事に病気に打ち勝って、一度の再発がありましたが、その後の活躍は皆様のご存じの通り素晴らしい楽曲と素晴らしいお芝居が認められ日本中に知られていく存在になっていきました。
今までもそうだったかもしれないけれど、この世の中になってからより一層感じるのは「推し」に何が起こるかわからないし、「自分」自身に何が起こるかわからないだから、後悔しないように「行きたい」と思ったり「観たい」と思えたものに対してはそのタイミングで出来る限り参加したい
生きている限り推しを推し続けたい
余談でございますが、星野源さん自身がエッセイ「いのちの車窓から」の中で中村勘三郎さんがお亡くなりになった後、笑福亭鶴瓶さんとの交流の中で得た気づきについて書かれてる部分がハッとさせらてたのとこの記事の結論になってますのでよろしければご覧ください
https://www.amazon.co.jp/いのちの車窓から-星野-源/dp/4040690664/ref=asc_df_4040690664/?tag=jpgo-22&linkCode=df0&hvadid=295691450867&hvpos=&hvnetw=g&hvrand=7661344515125503014&hvpone=&hvptwo=&hvqmt=&hvdev=m&hvdvcmdl=&hvlocint=&hvlocphy=1009772&hvtargid=pla-525687781649&psc=1&th=1&psc=1
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