みちのそら [ぷち日本紀行3] 四国から吉備の国へ
一宇峡から北上して、貞光川と吉野川が合流する集落には、二重うだつの家屋が残っています。
隣家と接する部分を持ち上げて屋根を設けた壁で、防火壁として考案されたようですが、おそらくほとんど意味はなさなかったと思われます。
江戸時代には完全に「金持ち」自慢状態になったようで、家屋にうだつを造れないことを「うだつが上がらない」と言い、転じて「出世しない」等の意味になったとされています。
四国を横断する吉野川は、とても魅力的な河川です。
四国と言うと、テレビなどの影響ですぐに四万十川を想像する人が多いと思います。
しかし、私は四国と言えば断然「吉野川」だと思っています。
吉野川は大歩危、小歩危などの迫力満点の渓谷があるかと思えば、池田あたりからは、なんと紀伊水道に出るまで、
ずどーーんと真っすぐ東に四国を貫いていて、その雄大さに圧倒されます。
地図を見れば、それが四国の構造線断層帯に沿っていることがわかるわけですが、この岩盤だらけのノコギリのような四国の山々を真っすぐ貫く不思議さといったら、それだけで大変な魅力です。
本州と四国を結ぶルートは、神戸ー鳴門、岡山ー坂出、そしてしまなみ海道で有名な尾道ー今治の3つがありますが、圧倒的な美しさを誇るのは岡山ー坂出ルートです。
しまなみ海道の方が知名度がかなり高いため、岡山ー坂出ルートを知らない人が多いかも知れませんが、このルートの眺めは、世界屈指の風景と言っても過言ではありません。
吊り橋、斜張橋、トラス橋を一度に眺めることが出来るという点でも、非常に珍しいかと思います。
この日は、岡山で備中国分寺を少しぶらつきました。
岡山は古代日本において非常に栄えた地であり、強力な豪族がいた場所でもあります。
ヤマト王権時代の巨大な前方後円墳が多数あることでも知られ、備中国分寺近くにも全国4位の大きさとなる造山古墳があります。
ヤマトタケルノミコトが吉備の国を平定した神話が、桃太郎伝説となったことはあまりにも有名ですが、実際に鬼を祭る吉備津神社があったり、古代の巨大な山城である鬼ノ城が発見されるなど、魅力たっぷりのエリアです。
吉備津神社が鬼を祭っているのは、古代日本では恨みを持って死んだ者は「祟り神」となって現れると信じられていたためだと思います。
ヤマトタケルノミコトが吉備の強力な豪族を打ち破った時に、敗れた豪族が祟り神となってヤマト王権を呪うことを恐れたのではないかと考えられます。
ウソかまことか、それは定かではありませんが、わくわくするような古代のロマンを感じます。
さあて、明日天気になぁーれ。
[4へ続く]
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