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Invent or Die - 未来の設計者たちへ:第四回 中島聡 x 増井雄一郎 書き起こし その1

2018年11月26日(月)に開催された「Invent or Die - 未来の設計者たちへ:第四回 中島聡 x 増井雄一郎」の書き起こしです。
ソフトウェアエンジニアである中島聡と、高校在学中からプログラミングをはじめ大学時代に起業、現在でも第一線で続ける有名エンジニアの増井雄一郎氏がエンジニアの未来に関して議論します。

司会: Invent or Die4といういうことですね、本日、中島聡さんと増井雄一郎さん  の対談という事でよろしくお願い致します。それでは増井雄一郎さんよろしくお願いします。

増井: じゃあよろしくお願いします。今日、中島さんと対談させて頂く増井と申します。まず 簡単に僕の方で自己紹介と、僕が何やってきた人なのかと、あと僕の問題提起みたいなものを、初め30分ぐらいさせて頂きます。
増井雄一郎といいます。ちょっと前からmasuidrive(マスイドライブ)という名前で活動してまして、ここ数年は、僕もともとお風呂が大好きなんですよ。本当にお風呂で普通に仕事したりするので、それを普通にブログに書いたらそれがバズっちゃって。で、バズったらお風呂に取材に来ませんか?みたいなよくわからない仕事が入って、これ本当にあの上野にある寿湯ってとこですね、普通のマックブックを使って仕事も。。。まあ、これはネタで撮った、仕事をしてるこういう写真を上げたせいで、ネットでは風呂グラマーとか呼ばれたりしています。

趣味はクラブで踊ることです。最近はよくDJをやったりしています。実はプログラムを一番最初に始めたのは、多分高校1年生ぐらいの時で、もう実は高校2年生の時から仕事としてプログラムをやっています。その時まだ、Windows 95も出てなくてインターネットも出てなければ普通のWindowsもまだ3.1か、3.0だった頃で。
会計事務所について、会計事務所お客さん向けの顧客管理とか在庫管理の仕組みとか、データベースのアプリケーション、そのときはdBASEていうアプリケーションなんですが、そういうものだったりとかLotus 1-2-3、今でいうエクセルのマクロみたいな物を使って業務システムを作るのを、高校生の時からアルバイトとしてやっていました。ただ、高校が工業高校だったので一応学校では本当に簡単なプログラムは授業で受けてたんですが、高校の時に情報処理二種、今でいう基本情報処理試験に受かっていたので、理工系の大学にも行けたんですが、高校三年間工業高校だったので、九割男なんですよ。で、工業系の大学って、九割五分男なんですよ。そうすると、七年間男しかいない環境で暮らすってのはどうかと思ってですね。なので大学は文系の大学に行きました。

その後、自分で色々やったりして学生のうちに起業したりっていうのをずっと繰り返しています。なので、一般的な会社員経験、僕、一度もちゃんと上司がいた事がないんです。なので、そういった一般的な社会人経験はほぼありません。
僕は、大学生の頃からどんなことやってたかって言うと、実はずーっと、先ほど言ったように普通の一般的な高校生って、どっちかっていうと、プログラムやるというとゲーム作る、今だとネットのいろんなものがあるんですけど。本当この時はまだネットもないので、ゲームを作る事が多かったんですが、僕は一番初めに実は写真の印刷屋さんにアルバイトでレジ打ちのバイトに行ったら、後ろでデータ入力のバイトあるよと言われて、そのデータ入力のバイトをしてる時に、そのソフトが余りにも入力しにくかったので、覚えたてのプログラムで自分で入力するプログラムを作って、それを使って自分でデータインポートしてっていうのをやっていたら、そこで他のアプリケーションも作れる?と聞かれたので、「自分で勉強すれば作れると思います」と言って、そこの印刷屋さんのチェーン店のホームのシステムを作って、それでそこに出入りしてる会議事務所の先生から別の会社の仕事ももらってってのを、高校生の時にやっていて。高校三年生の時に札幌に住んでたんですけど、高校三年生時に飛行機乗って道内出張している、みたいなちょっとよくわからない高校生でした。

丁度、大学に入った時に94年入学なんですけど、94年て大学間のインターネットが丁度出始めた頃、 Windows 95が出るちょっと前なのでそういう風にインターネットが大学の中では使えるようになりました。ちょうどその時に、僕 Linux とか Free BSD っていう、UNIXを色々趣味で使っていたのでそれを使って、自分でそういったwebサーバをどうやって立てるかっていうドキュメントを書いて公開したりとか、あとこの97年にPerlで書いたスケジュール共有用のカレンダーのアプリケーション、96年か、97年に書いてます。

97年に PHP を使って調剤薬局間の薬剤の管理の仕組みを作ったり、こういった物で大学生の頃から結構物を作るのが好きで、いろんなプログラム、特にビジネス向けのプログラムをずっと作って色んな会社に納品したりとかフリーで公開したりとか、ちょうどこの頃オープンソースとか出てきたのでオープンソースで公開したりしてました。

で、それ以外にもちなみにPukiWikiってご存知の方いらっしゃいますか?PukiWikiはネット上の寄せ書きアプリみたいなPHPで書かれたのがあるんですが、元々他の人が作っていた物を僕の方で巻き取らせてもらって、オープンソースの開発のスタイルに合わせてもう1回チームを作ったりとかですね。あとは iOS アプリケーション をRuby で作れるツールキットを趣味で作ったり、オンラインでエディタを作ったり、チャットで勤怠管理をするものとか、ずっと毎年こういった色んな物を作ってます。もうここ15~16年か、ほぼずーっとこういった物を作って暮らしています。

その2へ続く

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シンギュラリティ・ソサエティは、中島聡x夏野剛の呼びかけにより設立された、「未来の創造者」たちに、勉強・議論・情報発信・ネットワーク作り・プロトタイプ作成・ビジネス設計・起業の場を提供することを目的に作られた非営利であり、政府からは独立している団体です。
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