渋谷でのまちづくりのお仕事
ご縁があって、2021年の夏頃から渋谷の街づくりの仕事をしています。
渋谷区SDGs協会事務局長と渋谷新聞編集長というお仕事です。
渋谷センター街の理事も務める渋谷のデルクイこと鈴木大輔さんとの出会いがきっかけなのです。
ところで、私と渋谷との出会いというと、小学生の頃、3年間だけ世田谷に住んでいた時に、家族で渋谷に来たのはよく覚えています。
当時3年生だった私は、5年生の兄と一緒に渋谷に遊びに行って、東急文化会館(現在のHikarie)にある映画館に映画を観に行った記憶があります。
なぜか東急文化会館のすぐ脇にあったハンバーガーショップ「森永LOVE」のことを鮮明に覚えています。
その後、高校までは神戸で過ごし、大学から東京に出てきても、大体遊ぶところと言えば、渋谷。
パルコブックセンターやパルコギャラリーにアートを感じに行ったり、兄と一緒に、レコファンで中古CDを見漁ったり、スペイン坂にあったミニシアター シネマライズで映画を観たり…
この写真は、このころ、シスコ坂で兄に撮られた写真ですね。
大学4年時の1999年にQFRONTができて、浜野安宏さんの「建築プロデューサー」の本を読んだのがきっかけで、建築をプロデュースするという仕事を知って、その後森ビルに就職(東急は落ちましたw)。
大学の卒業設計は宮下公園の敷地をテーマに、mAv (Miyashita park Art Village)という設計をして、日本建築家協会銅賞を受賞。
発表する場を求め街中でパフォーマンスをしている人たちに、発表の場を提供し、埋もれた才能を発掘・育成・発信していくというコンセプトです。
パフォーマンスの様子は対岸のビルの壁面にプロジェクターで照射し、街ゆく人や電車の中からもみることができるというものでした。
その後、大人になるにつれて、周辺の街(代官山や神宮前、奥渋あたりや六本木)に行くようになって、渋谷は「通過する街」になってしまいました。
しかし、またこの年になって渋谷に関わることができました。
渋谷新聞では、高校生を運営スタッフやライターに起用しています。
世代によって渋谷の印象はさまざま。そういった渋谷の多様性を発信していきたいと思います。私の息子もライターデビューしました。
息子のデビュー作はこちら。
渋谷センター街では「宇田川クランクストリート」という路地を使って、新たな場所へ変換するプロジェクトも動き出しています。
先日はみんなでキャンプを開催しました。
ここでは定期的に路上ライブ「シブライブ」を開催したり、マルシェなども開催していく予定です。
まさに、宮下公園で構想したプロジェクトが20年以上の時間を経て、センター街で実現しようとしています。
この歳になって感じる渋谷は、若い時とはまた違った噛みごたえがある街です。
しっかり咀嚼して、これまでの渋谷とこれからの渋谷を、味わっていきたいと思います。
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