文字の隙間に、根を伸ばす
執筆者:すなのいと
産後、感情が死んだ時期がある。
2018年。わたしのお腹に2つの鼓動が宿った。「双子を育てる自信がない」と言い続けていた父親は、ふたりの誕生の直後に、わたしたちの人生から去った。問題を抱える実家の両親には頼れない。
たった一人での多胎育児が始まった。
生まれたばかりの彼らには、昼と夜の区切りがない。昼夜問わずふたりに絶え間なくおっぱいを与え、日に数十回おむつを替える。睡眠時間は細切れで、かき集めても一日に2、3時間程度だった。同時に、あるいは交互に泣き続けるふたりを抱え、自分のことはいつも後回し。だんだん何を感じているのかすらわからなくなり、ただやるべきことをこなすゾンビと化した。
さらに、やるべきことに離乳食が加わった。発達障害を持ち、マルチタスクが苦手なわたしにとって料理は苦行だ。なのに、どこかで聞いた「ご飯は目に見える愛情表現です」という言葉を真に受けて、必要以上に気負っていた。
ところが、愛情込めて作った離乳食の行き先は、半分以上がエプロンや床だった。ニコニコ顔でスプーンを握りしめ、どちらが遠くに飛ばせるかを競うように、器の中身をすくっては投げる双子。作った労力に比例して、むなしさ、腹立たしさが募っていった。
育児は、がんばった分だけ報われる、という正攻法が通じない。わたしは、正解を求めて育児書を読み漁った。
ほんとうは、物語の本が好きだ。以前は、いっとき自分とはかけ離れた世界を旅することで、生きる気力を養っていた。
けれどその時は、物語に没頭することが時間の浪費だと思えた。どうせ時間を使うなら、子育ての悩みに効率よく答えてくれる本を読まなければ!と、切羽詰まっていた。
しかし、寝不足の頭で文字を追えど、内容がなんにも入ってこない。時折目に飛び込んでくるのは「ママのイライラは赤ちゃんに伝わります」とか「パートナーを上手に頼りましょう」とか、現状を否定されたように感じる言葉ばかりで、読む前より疲れたりした。
ある日、ふと物語の本を開いてみた。ああ、こんな時間があれば離乳食のストックが作れるのに、なんて自分を責めながらも、読むのを止められなかった。泣く子らを片手であやし、もう一方の手で、夢中でページをめくった。
記憶喪失の人食い鬼と、親を失った少女が身を寄せ合って暮らす話だ。少女は鬼に亡き父を重ね、鬼は少女を誰よりも大切に想う。けれども一方で、少女は「肉のやわらかい子ども」だ。少女は、夜、眠ったふりをする自分を前に、鬼が涙とよだれを同時に流すのを知っていた。いつか食われるかもしれない恐怖におびえ、それでも彼女は言う。
「あんたはあんたのままでいい。ここがどうしても住みにくければ、そのときは、わたしが鬼になる」
気づいたらボロボロ涙を流していた。
あんたもそのままでいいよ、と言われた気がした。苦悩も葛藤もひっくるめて、存在を丸ごと許される安堵感。そして、ああ、わたしが息子たちに抱いている想いとおなじだ。そう気づいた。
「わたしはあなたが大好き。何があっても、絶対に味方」
やりきれない日々の中で、それでもわたしを動かす核。この想いさえ胸の真ん中にずしんと据えたら、あとの日常のアレコレは適当でいいのかも。そう思えた。育児への直接的な答えを求めていたけれど、真正面から現実と取っ組み合いをするばかりが解決法じゃない。
たとえ逃避だとしても、物語の中で誰かに心を添わせて喜んだり悲しんだり。それが、凝り固まった心を解きほぐした。
わたしの時間は、わたしの人生そのもの。自分自身を満たす時間を「無駄だ」と自分から取り上げて、それでほんとうに、生きていると言える?
頭の中で問いが響いた。
わたしは、理想の母親像に縛られていた。けれど、お母さんは、母である前にひとりの人間だ。料理に限らず、もっと自由に、それぞれが得意なこと、楽しいことで愛情表現をしてもいいのかもしれない。本を読むのが好きなわたしは、読むことで息子たちに大好きを伝えよう。
それからは、苦手なことは極力手を抜くようにした。コメを炊けたら100点。味噌汁と漬物の粗食を基本に、凝ったものが食べたいときは、堂々と冷凍食品に頼る。すると、息子たちと絵本を楽しむゆとりが生まれた。
無理していつも優しいお母さんでいるのではなく、いつも優しくいられるように、自分に優しいお母さん、でいいのかもしれない。
本を読むことで、つらいこと悲しいことがあっても、いつでも逃げ込める世界があるよ、って息子たちに知ってもらえたらいいなと思う。もちろん、他にもっと楽しいものができたなら、じゃんじゃん時間を使ってほしい。私が知らないおもしろさを教えてほしい。
けれど、本を読むことも楽しみのひとつになったならば、いつかいっしょに読みたい本が、たくさんある。
本は豊かな土。文字の隙間に伸ばす根が養いとなり、君たちと、わたしの人生を支えますように。
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