衝動的フライドチキン

※2019年11月に作成した記事です※

最悪だ。


わざわざ足を伸ばして行った某有名フライドチキン店が改装中で営業していない。

どうしてもフライドチキンが食べたいという欲に取り憑かれて、友達の誘いに乗らず自分一人だけ店へ向かう群れから抜けてきた。疲れていて気力も体力もなかった、というのもある。


まあチキンなら他でも食べられる、と気を取り直して向かった某有名ハンバーガーチェーン。

レジごとに列をなしていたので右側の列に並んでいると、「一列でお願いしまーす」とレジ内にいる店員に指示される。そうだったのか、と後ろを見ると、左側の列が遠く伸びており、その後ろに並び直せと言う。え?あと2組のとこだったのに?結構前から並んでたのに??

文句を言うのも疲れるので、ちょうど店員と目が合ったタイミングで衝動的に踵を返して足早に自動ドアをくぐった。子どもかと思われるかもしれないがキレるよりマシである。


仕方がないので駅に向かって歩く。

夜、足がむくんで、パンプスの爪先は痛い。

ケン〇ッキー空いてないしマ◯クはイライラするし、昨日は3時間しか寝ていないし肌の調子は悪い。最近良い感じだと思っていた男の子からの連絡は1日半返ってこないし、化粧水がなくなりそうなのに給料日前でお金がないし、ゼミは忙しいし自発的にやらない人間にイライラするし、おまけに生理前で、ストッキングは2日連続で伝線した。

なんだか惨めになってきて、治安の悪い夜の駅を歩きながら涙が出そうになった。疲れているのは承知である。


私は今、最悪の運の下にいる。

そう思うことがたまに、まあ1年のうち2回くらいある。

くだらないことの積み重ねだから、まーたそんなことで大袈裟な!!と思われるかもしれない。そりゃ色々重ならなかったらストッキング伝線したくらいで泣かんわ。


不運も幸運も、色々と重なるのが常である。

不運はこのような私の現状然り、幸運は時に立て続いてむしろ怖くなったりするものである。


もっとも典型的な例えは仕事と恋愛である。仕事が波に乗ってきて、よーし勉強するぞー働くぞーと張り切っているときに、思わぬ形で連絡し合ったりデートしたりする男の子が現れたり、仕事がうまくいかない時や大きな失敗をした時に限って、彼氏から連絡が来なかったり八つ当たりして喧嘩してしまったりする。


“運”とは不思議なものである。風水だとか占いだとか、そういう神秘的な非科学的なものに執心することはないけれど、運というものに関しては存在しているとしか言いようがない、と思う瞬間がある。


当然ながら、人生の岐路には必ず運が伴っている。

出生だってそうである。もちろん母親の努力や環境も影響するが、無事に生を受けることはある意味奇跡であって、人生最初の幸運と言ってもいい。健康や人間関係、受験、就活、仕事、結婚や離婚、出産や育児、そして死。すべてにおいて運は私たちの人生を左右する。


どんな人に出会い、どんな人生を歩むかは、私たちの努力や趣味嗜好、環境などの人間の意思によってその多くが形成される。しかし、人生の一部分はタイミングや奇跡といった運が確実に関与していて、それは私たちにはコントロールしかねるものである。だから人生は波乱万丈とも言える。


運というものが人に対して公平であるか不公平であるか、という問題は非常にハードだ。


「俺結構運は良い方なんだよねー」というチャラついた(偏見)発言を聞くと、「???」となってしまうのは私だけだろうか。

え、君にも不運なときあるよね??食べたいアイスがコンビニ行ったらたまたま売り切れてて、えーまじかーと思ってレジの前通って帰ろうとしたらおばあちゃんがそのアイス買い占めてるの見ちゃったことない??


誰しも幸運と不運は均等である、と言いたいところだが世の中はそう単純ではない。

大きな病気をすることなく、仕事もそれなりで、それなりに結婚したりパートナーが出来たり、年老いてから死ぬ。一方、事情の入り組んだ家庭に生まれたり、稼ぐために高校さえ行けなかったり、学歴や環境のために正社員になれず派遣を転々としたり、若くして大きな病気をしたり事故にあってしまったり。


人の運が均等であると断言して良いのか、悩まされる人生が多いのも事実である。


けれど、人生の幸不幸はそういう大きなイベントで決められるべきものではない。


小さな幸運が積み重なって、大きな不運を塗り替える人生もあるかもしれない。逆に、小さな不運が積み重なって、大きな幸運に人生の危機を与えることもあるかもしれない。喜びが生まれると、同時にどこかで悲しみが生まれている、という言葉すらあるくらいだ。そういう意味では人生の運は案外偏っていないのかもしれない。


いつか運が科学的に立証される日は来るのだろうか。この地球の歴史において、突然大雨が降ったり地震が起きたりといった、かつて超常現象と思われていたものが科学的に証明されてきたように。


こんな風にフライドチキンへの衝動から人生の話に発展してしまうほど、運は人の思考に介入する。さすがにこれは飛躍しすぎかもしれないが。


電車に乗り、ストレスに任せて筆を進めていたら、なんだかイライラや涙はどこかへ戻って行ってしまった。相変わらず睡眠不足で疲れは取れないが、気分はそう悪くない。創作はすごい。ストレスを軽減してくれる。もはやストレスこそが創作の原動力とさえ言える。


いま私は最寄駅でファ◯チキを頬張っている。頬張るとかそんな可愛いもんではない。獣のように貪っている。欲の塊である。冷静に24時のコンビニでファ◯チキを狼のごとく一心不乱にむしゃむしゃと食べている女はきっと私くらいである。

恥をさらして欲をむき出しにするのもたまには良い。ストレス発散にオススメなので是非やってみてほしい。


ただし、店の営業状況とレジの並び方には十分に気をつけなければならないが。

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