2024最初の鍋は、常磐もののあんこう鍋でした
「カセットコンロ出すか。」
いつもどおり過ごそうとしながらも、能登半島地震のことが心から離れない日々。
夫婦どちらからともなくそう言って、1月3日の晩酌は鍋にした。
災害に備えるのが日常な地域で生まれ育った我々夫婦。私はカセットコンロを、夫は調理に使えるオイルバーナー等を独身時代から所有している。
しかし、私がたくさん買い置きしてあるカセットガスには使用期限がある。
災害に備えるのも大事だけれど、「置いておく」だけではなく、食材と同様に期限を確認しながら日頃から使用し新しいものを補充する「ローリングストック」を心掛ければ一層安心である。
「冬の間は鍋物多めにしようか。」
「んだな。野菜も食べられるし。」
そう言って作った今年最初の鍋物は、味噌仕立てのあんこう鍋。
食材はすべて、その日に福島・相馬の「浜の駅 松川浦」で買ってきたものである。
新鮮な野菜、ぷりっぷり肉厚ジューシーなしいたけ、そして、プルプルふわふわのあんこうの身に、旨味の塊のようなあんこうの肝。
「美味しいねぇ」
「ありがたいねぇ」
互いにそう言いながら、ゆっくりと、じっくりと味わう。
相馬の美味しい食材で、ほっとする、幸せな晩酌となった。
1月2日から1泊2日で、福島の浜通り方面に行ってきた。先の鍋の食材も、その際に浜の駅松川浦に立ち寄って買ったものである。
浜通り方面に出かけるのは、昨年11月以来。
前回は夫にナイショの1人ドライブだったが、今回は夫が運転を担当してくれたので、お正月ということもあり私は久しぶりに和装で出掛けた。
前日の地震もあって、正直なところ和装を自粛することも一瞬頭をよぎったのだが、こんな時だからこそいつもどおりを心掛けようと気持ちを切り替え、以前からこの日に着ようと決めていた千鳥模様の着物にした。
千鳥は、浪江町の伝統工芸品・大堀相馬焼の透かし模様にも用いられている、浪江町に縁の有る柄である。
まず訪れたのは、前回も買い物に来た「道の駅なみえ」。
今回は、夫に写真を撮ってもらって御満悦。
元日は休業していた道の駅なみえ、この日が今年の初営業。
混んでくる前に食事を済ませてしまおうと、まずはフードコートへ。海鮮丼やしらす丼、名物のなみえ焼きそばにも魅かれたが、この日は「麺処 ひろ田製粉所」さんの中華そばにした。
道の駅なみえのフードコートには、新鮮な旬の魚介を使った和食を提供してくれる「レストラン かなで」と美味しい蕎麦やうどん、ラーメンを提供してくれる「麺処 ひろ田製粉所」が入っていて、ここの中華そばがまた美味しいのだ。
濃いめだけれどしつこくないスープに、するすると口当たりが良く小麦の香りも嬉しい細麺が美味しい。トッピングもこれぞラーメンの基本というような美しさと美味しさで、着物に汁を飛ばさないよう気をつけながらもあっという間に完食。
この日は大熊町に宿泊。宿泊先では夕食の予約をしていなかったので、ここで晩酌用のお酒やつまみなどあれこれ購入。
夫は、鈴木酒造店さんで限定5袋のバラエティ福袋を購入。(これが今回一番の目的でもあった。)
その後、請戸川の桜並木を二人で少しお散歩。
この後、宿泊先の大熊町に向かう予定だったのだが、まだチェックインの時間まで余裕があったので浪江町内をドライブ。
せっかくの機会だから請戸漁港を見に行ってみようかと海側に車を走らせていたところ、震災遺構となっている浪江町立請戸小学校の標識が目に入った。
福島県の浜通りは福島第一原子力発電所の事故に伴う問題ばかりがクローズアップされがちだが、ここは、甚大な津波の被災地でもある。
避難指示が解除され復興が進んでいる今だからこそ、この地域の津波被害についてしっかりと心に刻んでおきたいとあらためて思う。
この日は休館日となっていて中の見学が出来なかったので、また日を改めて訪問しようねと夫とも話しながら小学校を後にし、請戸漁港へ。
請戸小学校のすぐ近くに、請戸漁港はあった。
漁船にはお正月の飾りが。
つい先日、宮城の女川で見た漁船のお正月飾りを思い出しながら、しばしのんびり。
大熊町に入ってからは、宿に行く前に初詣。
大熊町の大山祇神社へ。
宿泊はいつもの「ほっと大熊」。
住みたくなるくらい素敵な宿泊施設。
今回もお世話になりました。
リゾートホテルのような心地良いお部屋と、温泉をたっぷり堪能。
翌日、相馬の「浜の駅 松川浦」の初売りで魚や野菜やツマミ、お惣菜など大量まとめ買いしてきたのは先述のとおり。
浪江町も、大熊町も、相馬も、楽しかったし美味しいものがたくさんあった。
「浜の駅 松川浦」では、能登半島地震を受けて、初売りの様々なイベントを開催するかどうか話し合いがなされたこと、けれど、自粛するのではなく、初売りのマグロの売り上げの一部を被災地に送ると決めたことがアナウンスされていた。
私は、それでいいと思う。
被災していない地域が過度に自粛してしまうことが、被災地の復興をすすめることにはつながらない。
ならば、いつも通りに。
私は、そう思う。
福島でお世話になった方々には、あらためて、感謝申し上げたい。
ありがとうございました。
私は今年も、地元の宮城や福島をはじめ、各地の食材に感謝して美味しく食べて元気に暮らそうと思う。
そして、時期が来たら、能登や北陸の美味しいものも、たくさんいただこうと思っている。
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