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12月の仙台

 河川敷の草むらには霜が降りていた。
 通勤ラッシュの渋滞を避けて早めに家を出ているのだが、この時期は昇り始めた朝日に向かって車を走らせることになる。雲と陽の光のコントラストが驚くほどきれいで写真を撮りたくなることも度々。もちろん運転中なのでそんなことが出来るはずもなく、時折信号待ちの際にスマホを向けてはシャッターチャンスというもののの難しさを実感させられるばかり。
 でも、写真におさめたくなるような風景を自分だけの記憶に留めておけるというのは、考えようによっては贅沢なことかもしれない。
 仕事に向かいながら目にする朝焼けも、現場から会社に戻りながら眺める夕焼けも、同じような日々の繰り返しの中でも決していつも同じでは無い。仕事の忙しさに追われ余裕を無くしそうな時に心の緊張を和らげてくれるのは、フロントガラスの向こうの淡く柔らかな空と雲の色だったりする。

2023.12.5 朝

 北海道に住んでいた頃、冬の間は遠出を避けていた。
 雪で飛行機が欠航になることもあり得るし、空港へと車で向かう際に大雪や路面凍結による渋滞もあり得る。夏の観光シーズンよりも航空券がはるかに安くなるとはいえ、冬の旅はリスクが大きかった。
 けれど、宮城に移住してくるよりも前、ちょうど今の時期に、私は飛行機に乗って一人で仙台に来たことがある。
 大切な人を見送りに。
 冬の初めのこの時期になると、私はいつもその時のことを思い出す。
 あの時、飛行機から見た夕暮れの空の色と、仙台空港に着いた私を迎えに来てくれた夫の車の助手席から見た夜の仙台のイルミネーション。それが、私にとっての12月の仙台の最初の思い出だ。


 その人は、夫の友人だった。
 しっかりと仕事を持ちながらご家族のことも大切にされている素敵な方だった。当時はまだ独身だった夫が私と交際し始めたことを知った際には、自分のことのように喜んでくれていたと後で聞いた。
 闘病されていたことは聞いていた。けれど、会った際にはとても元気で、きっとこのまま良くなるのだろうと思っていた。

 定年退職後に移住を考えていた宮城に私が来たのは、一昨年のことだった。
 当初の予定からすると、10年も早い移住。とはいえ、もっと早くに引っ越してきていたならばという思いは今もある。
 北海道で過ごしてきた日々や仕事を後悔しているわけではない。
 ただ、もっと早くにこちらに来ていたならば、もっとたくさん会えただろうと思ってしまう。話したいことがたくさんあった。私よりも年上のはずなのにいつも可愛らしく素敵だったその人の笑顔を思い出すと、寂しさと後悔が心をよぎる。

 でも、たくさん会ってたくさん話していたならば、喪失感は今よりもはるかに大きかっただろうとも思う。
 自分自身、母を見送って13年が過ぎたが今も喪失感は消えない。
 人を見送るとは、そういうことなのだろう。

 今朝の空は、朝焼けなのに夕焼けのような薄墨色の雲が広がっていて、あの日、飛行機の上から見た空を思い出した。
 けれど、朝の陽の光は、優しく明るかった。
 いつになく感傷的な気持ちになる今日。しっかりしろ、恥ずかしくないように頑張れと自分で自身を鼓舞しながら、いつもとは違う今日をいつものように過ごそうと思う。




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