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" エッセイ " を書いてみる。

エッセイって書いたことがない。
エッセイってなんだ?
よくわかってないけど、最近の出来事と思ったことを書いてみる。

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最近、質の良いエンタメを見過ぎている。

良いことだ。
けど、少し、過剰摂取し過ぎている気もする。インプットが極端に多くなり過ぎて、こうやって書いたりして吸収を休まないと、心の整理ができていないような気がして落ち着かなくなってきた。

濱口竜介の新作「悪は存在しない」を見てから随分と時間が経ったが、「PASSION」「偶然と想像」「ドライブマイカー」などを見直し、映画に限らずこのエンタメ過剰摂取は「ハッピーアワー」と「親密さ」をもう一度ちゃんと見るための体力づくりのためでもあるような気さえしてきた。
あと、特に食い入るように見返した「寝ても覚めても」。昔見たときのFilmarksの感想に、朝子の性格をボロカス言って亮平にはもっといい女が現れるから!とお節介を焼いていたのだが、今は朝子が羨ましくて仕方がなく思えたのでそんな自分に衝撃的だった。こんなに映画の見方が変わってしまうのならば、やっぱり人生は面白いのかもしれない。

実在する他者とコミュニケーションをとることが面倒すぎる。でも、他人とある程度関わらないと生きていけないから、頑張ってそれっぽく話して、聞いて、首を縦に振ったり、横に振ったりしながら生きている。
「人のことをただめんどくさがっているだけ、優しくしておけばめんどくさくないから。人間関係はサービスでしかないから」って、わたしがこの世のドラマの中で一番好きな大豆田とわ子の餃子パーティーシーンだけど、これが自分にクリティカルヒットすぎるんだよな〜。

正直に生きることは難しい。そして、正直に生きようとすることは不恰好だ。けれど、濱口竜介さんの作品の登場人物は、みんな不恰好だけど、不器用でかっこ悪いけど、愛くるしい。抱きしめたくなる。
傷つくことを恐れず、まっすぐに生きることって難し過ぎやしませんか?
人間関係をサービスにしたくない。大切な人がいなくなってから大切だったと気づきたくない。真実の泉の水なんか飲まなくても、いつでも本音を話せる人間でありたい。
でもこうやって、もっと正直に生きることができたら、人生はさらに楽しくなるかもしれないと思うと、やっぱり生きてみる価値はあるんじゃないかなって思ったりしている。

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すべて真夜中の恋人たち、それから、デカローグ。

最近、川上未映子さんに夢中になっている。
もともと男性が描く女性がすごく好きだ。女性が描く女性の嘘や建前はリアルでしかないけど、男子が描く女性の嘘や建前は、異性が描いていると言う事実によってフィクションを感じることができて、勝手に安心できるから。

そんなわたしだから、女性作家をあまり読んでこなかった。が、しかし、川上未映子さんにはまった。とある人が、ヘヴンが好きだと言っていて読んでみたのがきっかけで、「乳と卵」「すべて真夜中の恋人たち」を続けて読んだ。今更か!と思うけど許しください。(ちなみに黄色い家はまだ読めていない。)
すべて真夜中の恋人たちの聖みたいなキャラクターはとても苦手で嫌いだった。やっぱり顔が整っていると言うことは、それだけで、社会的に強者だと信じていて、ただそれは、自分の努力というよりも遺伝的に備わっているものが多いと思ったから。美人はずるいし、勝てないと思ってたから。しかし、聖にどんどん感情移入していく自分もいて、やっぱり、何か昔の自分と今の自分は明らかに違うなって思っている。

新国立劇場でやっているデカローグCを見た。
田中亨さんが大好きなので、6話目を食い入るように見ていたのだが、最終的にマグダを本当の意味で愛していた人が誰一人いなくて辛い。これも聖と同じ現象で、このタイプの物語を、一見社会的に強者に見える美人な女性の方に感情移入して、それを寂しいと思えてしまう自分が信じられなかったりしている。なんだかとても違和感でむず痒いけど、その新感覚は心地よいかもしれない。
美人であることは、決して強者な証ではないという新発見。むしろ、それで自分を必死に繕っている時もあるし、逆に中身に注視してもらえないことを悩んでいるかもしれないんだな〜。

何にしろ、聖やマグダみたいに、人から嫌われることを恐れない綺麗な女性はかっこいいと思った。それはたとえ、自分の道徳観や倫理観が周りと逸脱していたとしても。ある程度の逸脱なのであれば、やはりかっこいい。

わたしも聖やマグダみたいにはなりたくないけど、その美貌には憧れるので、やっぱ美人にはなりたい。よし!
化粧水、サボらない!
ドライヤー前のヘアミルク、サボらない!
肩と二の腕まわりのストレッチ、サボらない!
頑張れ、自分!

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きのこを電子レンジで温めるということ。

最近、電子レンジのヤバさに気づいた。
わたしは自炊を全くしない。食器洗いができないからだ。どうも昔から食器洗いができない。
ある日、小学6年生くらいだったと思うんだけど、父親に食器を洗うように怒られて、たった5,6枚のお皿なのに、1時間くらいシンクの前に立ち尽くしてしまって洗えず泣いていたことを思い出す。
なんで洗えなかったのか。答えは簡単で、潔癖症だからだ。嫌いな食べ物が載っていたお皿は洗えないのはもちろんだし、他人の食べた食器をなぞったスポンジと、同じスポンジで自分のお皿を洗うのも信じられない。
レストランや、母親が済ます家事に関して、それが自分の見えないエリアで内密に行われているのであれば許せるのだが、視覚的に自分のお皿と家族が使ったお皿が辛苦で重ねらているのが耐えられないのだ。
なので、それから実家でも、割り箸や紙コップを使ったり、お鍋などの取り分ける系は、自分だけ別皿にしてもらったりなどしていた。

自炊はずっと諦めていた。そして、コンビニ食は最高すぎる。購入して、温めて、食べて、そのまま捨てる。何も手間がいらない。最高である。
でも、ちょっと健康を意識しようとし始めた時、一気にコンビニ食が邪魔な存在になった。

そこで、まずはティファールでゆで卵ができることを知った。ゆで卵は、ティファールを汚さないから、食器洗いを全く頑張らなくていい。ゆで卵は「待つ」という少しの忍耐力を持ち合わせるだけでいいから、なかなか失敗しないし、美味しいし、お腹にたまるし、たんぱく質いっぱい取れるからやばい。
そのあと、ゆで卵以外でも、簡単に洗い物を出さずに調理できる何かがないかと頭をひねった。そこで、電子レンジの有能さに気づくことになる。

電子レンジは、何でも温めることができる。やばい。
先日、実家が兵庫県にある会社の後輩から、淡路島の美味しい玉ねぎを送ってもらった。お鍋やフライパンは洗わないといけないので絶対に使いたくない。ならば使うのは電子レンジしかない。
包丁も洗いたくないから、キッチンバサミで玉ねぎに十字に切り込みを入れ、お皿は洗いたくないからラップで包み、700wで7分くらい温めた。玉ねぎは暖かく、しなっとなっていた。やった!これでまずは食べられそうだ。
とりあえず、塩コショウをかけて食べてみた。
めちゃくちゃ美味しい。やばい。
素材が美味しいのはもちろんだけど、電子レンジでも料理ってできるのかと初めて気づいた。

以来、わたしは、耐熱式の使い捨ての紙皿の存在に気づき、とりつかれたように、そこに色々な素材を適当に入れて、700wでチンしている。
妹に「電子レンジってやばい!」って伝えたところ「いまさら?」と言われた。わたしのこの感動を4文字で済ませたの、結構許せていない。てか、知ってたなら教えてくれよ。
最近は、ずっとキノコを食べている。舞茸、エリンギ、えのき、しめじ…。全部美味しい。キノコは包丁やキッチンバサミを使わなくても、手で切れるところが最高だ。洗い物がゼロで料理ができる(わたしはこれも料理と定義しているが異論は認める)。それでして美味しいから、料理の手間の簡単さと美味しさが見合っていないと思う。何であんなに美味しいんだろう。

27歳で電子レンジの有能さとキノコの美味しさに気づいたのは、遅くないと思っている。
生きててよかったかもしれない。

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3万円の眼鏡か、10万円の入れ歯か。

最近、妹が目が悪くなった気がするから眼鏡を買いたいと言っていて買い物に付き合うことになった。
わたしはJINSの一番安い眼鏡を愛用していて、かれこれ5,6年使っているので、そろそろ新しい眼鏡を買いたいとも思っていた。
渋谷のとある眼鏡屋さんが、似合う眼鏡をお探しします顔診断みたいなものをやっていて、価格帯も1万〜3万という記載を見かけたので、1万ちょっとだったら予算内だなって思ったから予約して行ってみると、だいたいどのフレームも3万円代だったからビビった。
診断だけでもOKとの触れ込みだったので、購入はしなかったのだが、あてがってもらった丸眼鏡が最高すぎて「ボーナス出たら買いに来ます!」と伝えてその場を去った。

そして、歯医者に行った。わたしは本当に歯医者に行けない。ある程度の生活が苦手系 社会不適合者ならわかると思うけど、歯医者って本当に行けない。歯を丁寧に磨くという日常も送れないくせして、歯医者も行けないんだから、口内環境はやはり最悪である。
通い始めて、でも通えなくなったりして、トータル4年くらいかかったのだが、ようやく全ての虫歯が治った。
親知らずは虫歯のために全部抜き取り、奥歯はほとんど銀歯の詰め物をしていて、今日、左奥歯に入れ歯が入った。

ある日。「今日これで全ての虫歯の歯の治療は終わりです〜、最後、ここの歯がない部分、どうしましょうか〜?以前は入れ歯にしようとお話ししていたと思うのですが〜」「・・・・・。(あれ?お話ししましたっけ?)」

いや。うん。確かに話していた気がする…..。

「じゃぁもう一度お話ししますと、インプラントもできるのですが、多分予算を抑えてということで入れ歯の話をしていたんです。入れ歯も保険適用のタイプはこう金具になっていて、大変だけど、保険適用外のプラスチックタイプの入れ歯だと、10万しちゃうんだけど〜、しっかり固定されて〜…」
(ああぁ〜…、全然わからないし、話が入ってこない。入れ歯ってなんだ….?。わたし27歳だけど、入れ歯しなきゃいけないのか…。歯って一本ぐらいなくても良くない…?奥歯だからバレないし…。え〜…。入れ歯か……。毎日取り外して手入れしないといけない系?でもこれプラスチックのやつだったらそのままで大丈夫なのか?ん????)
なんてボヤボヤ考えていたら「じゃぁ保険適用外のプラスチックのやつで!」と答えていた。もうでも、わたしはコンビニ食を脱して、ちゃんと自炊もするようになったし(電子レンジ使うだけだけど)ちゃんと日常の自分の生活などにお金かけるべきだなってマインドになっていた時期だし、ここに10万出せる自分って良いなってその瞬間は思ったのだった。

でも、今入れ歯をつけ始めたのですが、やっぱり取り外して毎日ちゃんと手入れしないといけないやつだったし、プラスチックが違和感だし、まだ痛い。これだったら、保険適用内の入れ歯にして、3万円の眼鏡を買ったほうが絶対に良かった。丸メガネかけたい。今のウィリトンじゃなくて、ラウンドかけたい(新しく覚えた言葉は、いっぱい使いたい。)悔しい。

ちゃんと手入れしないといけないやつですか?って聞けばよかったけど、もっと、悩んでいいですか?って保留にすれば良かったけど、なぜかそういうことができない。お金もないし、生活って難しい。

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わたしの課長が、やばい。殺したい。

最近、課長のヤバさがやばい。
普通にセクハラ・パワハラ満載で、本当にやばい。
こいつが公務員で、年齢給もらっていて、わたしたちの何倍も稼いでいるのに、権力だけに踏ん反り返っていて、何も動かず、働かず、このスタイルっていうのが本当にやばすぎる。
世の中に信じられないことっていっぱいあるけど、本当に信じられなくて、許せなくて、耐えられなくて、やばい。
今、やっぱりそいつをどうにかしたくて、わたしよりもっと上の上司たちが、パワハラ・セクハラの事例集めてまとめてくれているところなんだけど、例えば、半沢直樹とかに共感するのって、不条理な世の中に立ちむかう正義とか、上下のバランスがひっくり返るどんでん返しみたいなところに熱狂があって、別に共感モノじゃないじゃないですか?「あんなやばい上司いるよね〜」とか「不条理な社会システム」に注目している人ってあんまりいないような気がして。でも、まさに、わたしはそれ。半沢直樹ってすごい人だよね〜よりも、ああいう理不尽な上司、いるよね〜になっている。もう本当にやばい。

狂った業界で働くと、狂った価値観になる。日常的に「あいつまじで何やってんだよ、死ねって言ってきて〜」とか言われたりする。圧倒的におかしいけど、何も変わらない上司と、Z世代??の若い子たちが入ってくると、バランスの歪み方が興味深かったりする。社会を感じる。生きづらいけど、主観にならずに客観でいると面白がれる。

でも、本当に「死ね」とか、小学生じゃあるまいし、嘘でも冗談でも言うべきじゃないって思うよね。当たり前のこと書いてて恥ずかしいのだが。結構こういう大人が多くいる。けど、あの課長は、本当に殺したい。死ねって思わないけど、殺したいと思う。相手が死ぬことが目的ではない、自分が殺すことに意味がある。
憎むことが何かのパワーになるよりも、楽しいと言う感情がパワーになっていくほうが圧倒的に健全なのは分かっている。けど、この憎しみも怒りも、パワーにしないとやっていけないから、こんな記事で発散している。許せない。

仕事はいつ辞めるか決めている。だから、それまでは、愚痴はなるべく言わないようにしている。ここでこんなに荒々と書いたから信じてもらえないだろうけど。なるべくね。ここに書いたことを直接友達に人に話したら「だったら辞めればいいじゃん」って思うと思うし、わたしもそう思うから。
わたしがその環境に身を置くと決めている時点で(辞めると決断していない時点で)妥協しないといけない部分はあると思う。ただ、それを踏まえても許されないことが山ほどあるから、こうなっていることは理解してほしい。

とりあえず、職場に持っていっている筆箱のハサミとカッターだけ、抜いておこうと思う。

…と書いてはいるが、本当に殺す勇気はないので安心してください。

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お風呂につかりながら生理。

最近、生理が重い。
年々生理が重くなっている気がしていて、ピルを3ヶ月ほど飲み始めたのだが、あまり効果がなく辞めてしまった。もっと飲み続けないといけないものなんだとは思いながら辞めてしまった。
ピルを飲んでいるときは量が減ったのでそれは楽で良かったのだが、わたしは、生理中よりも、生理前のPMSがやばくて、そこをなんとか抑えたいと思うのだが余計に酷くなったような気がしていて、難しい。命の母とかの方が効くのかな?また飲んでみよう。

昨日生理がきたのだが、生理中はお風呂に入れないのが辛い。お風呂に浸かるのが大好きで、夏でも一年中湯船にお湯を張るのだが、妹と2人暮らしなため、生理中は湯船に浸からないようにしている。
妹もお風呂大好きで、湯船に浸かる同じタイプなのと、部屋の家事は一通り妹に任せていて、お風呂も2,3日は同じ水を使って追い焚きしているから、いつ妹が洗って水を張り替えるのか、いちいち確認したりするのが面倒なためにお風呂を安易に汚せないのである。

どうしても生理中でもお風呂に浸かりたいので、タンポンを使用してみたりもしたが、やはり付ける際に痛く感じるのが嫌で、それだったら湯船に浸かれなくていいやと思った。ただ、どうしても、湯船に浸かりたくて、諦めきれない時があった。そんな時、わたしは気づいたのだ。

『入って汚したとしても、自分で掃除して新たに水を張り直せばいいのだ!!!』と。

なんで気づかなかったのであろう。こんな単純なことが一番気づけない。
生活するにあたって、いかに楽に物事を進めるかしか頭にないのであろう。楽しんで生活しようという気概が薄すぎることに気づいて少し落ち込んだ。これは、妹も家事が一つ減って、わたしも生理中に湯船に浸かれて、Win-Winだった。

もう汚してもいいと思ったきれいな水のお風呂に、自分の血が溢れる様子は、なんだか心地が良い。深夜のカップ麺を罪悪感が心地よかったり、真夏にクーラーガンガンにして冬用の毛布を被っている背徳感が最高だったり、その類のワクワクハッピー感。あと、血ってシンプルに生きていることを実感するから、好きだったりする。採血は苦じゃない。

献血は勇気が出ないので、行ったことがない。
今度、行ってみようかな。

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デ・キリコとモーツァルト。

生きているのが面白いと感じるは、もっぱら自分の考え方の変化や自分の環境の変化である。
大学生の時から主に西洋の美術やクラシック音楽をなんとなく見たり聞いたりするようになって、つまりは、興味を持ち始めてから10年くらい経つ。
わたしはバカで教養がない割に、その癖に普段無口で知的ぶっている節があるので、頭が悪いことにコンプレックスを抱いていた。

まず、数字が入ってこない。もう今の家に住んで3年目になるが、郵便番号と家の番地が未だに覚えられていない。
歴史の年号もさっぱりわからなかった。でも、第1次・第2次世界大戦の年号というか時系列が、10年経ってようやく覚えられた気がする。
ロココ・新古典主義があって、産業革命があって、啓蒙思想があって、モーツァルトがあって、モネがあって、豪華絢爛な音楽史が展開する時代になって、ドビッシーがあって、ブラックとピカソのキュビズムがあって美術史もここからどんどん面白くなって、でも戦争もあって…、みたいな。音楽史と美術史を平行にして辿れるようになったのは本当に面白い。
ただ、冗談抜きで、こう考えられるようになるのに10年かかった。

デ・キリコ展に行った。めちゃくちゃ面白かった。あれだけの点数が集まると、歴史に沿ってその人物の作品だけでなく、人生自体に深い焦点を当てられるから最高だった。
昔はデ・キリコが大好きだった。なんとも言えない不穏さと不気味さがたまらなくて、ディペイズマンという手法はわたしにとっては心地よかった。でも、やはり、今回見ていて、あまり好きではなくなったかもしれないな〜と思った。のちのシュルレアリスムに大きな影響を与えた点や、そのキリコからの西洋史の流れも大好きだけど…。

今は、ずっとモーツァルトを聴いている。大学の授業で現代音楽史の授業を履修していたことがあって、その先生がサティ大好きだから、テストでサティ好きですって書けば単位取れるよ!って言われて、音楽史はその辺りから入ったのだけれども、だからシェーンベルク好き!って言っていればかっこいいみたいなね。でも、結局モーツァルトが大好きである。

モーツァルトってずっとコロコロ言ってるじゃん?コロコロ感が好き。
のだめカンタービレ大好きだから、黒木くんのオーボエ協奏曲が未だに新鮮に大好きだし、結局、フォガロの序曲が本当に大好き。ただ、やはり、当時の時代背景やモーツァルトがどんな人物だったか、もっともっと知らずにはいられない気持ちになる。コジファントゥッテは女性蔑視じゃなくて本当に女性賛歌なの?魔笛は今見ると差別要素がふんだんじゃん!でも、フェランドのアリアはいつ聴いても最高だし、お風呂で夜女ごっこやるのをやめられない。
キリコ展でも、ベックリンの話がよく出てきたけど、わたしはやはり彼の絵を見るたびにヒトラーがちらつき、その絵に心を惹かれるわたし自身も何か間違っているような感覚に襲われる時がある。シュトラウスの美しき青きドナウとかもね。あ〜〜、蘇るレオポルトシュタット…。ナータン…..。。。舞台奥から真っ直ぐ出てくるやつね…。関心領域も良かったな。

純粋に音楽を楽しむこと・純粋に絵画を楽しむこと、わたしはそっちの方が難しくなってきたと同時に、もう教養とかじゃなくて、もっと色々なことを知りたい、世界を知りたい、歴史を学びたいと思うようになった。
けど、賢くなればなるほど、生きにくくなってくる世の中。自分と社会と世界の距離がずっと難しい。

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チョコレート紅茶とチョコレート珈琲。

最近、治一郎のバームクーヘンを美味しいと感じることができなかった。
仕事ですごく嫌な思いをして、差し入れですごくいっぱい治一郎のバームクーヘンが並んでたから、すごくいっぱい食べたけど、美味しくなかった。
でも、治一郎のバームクーヘンなんて絶対に美味しいに決まってるんだから、明日もう1回食べたい。山ほど積んであったから、多分まだ残っているはず。

何を美味しいと感じて、何を美味しくないと感じるかは、さすがにもう分かる。でも、意外な発見もまだまだあることに気づいて嬉しかった話。

「チョコレート風味のコーヒー」があって、いわゆるチョコレートフレーバーと言われるもので、そんなコーヒーあるわけないと思った。チョコレートとコーヒーなんて、別々に口に入れると美味しいって決まってるけど、一緒にする意味ないと思うし、一緒にしてはいけないと思っていた。でも、これが、美味しかった。めちゃくちゃ美味しかった。
ちょっといい粉を買おうと思って、成城石井にふらっと入った時に買った粉。春頃飲んでいたけど、違う粉に切り替えてしまって、あのチョコレート風味が恋しくなっている。夏に向かうけど、まだまだホットコーヒーが飲みたい。

そして、先日チョコレートティーなるものを見かけたので、買ってみた。
自分の健康に気遣うようになってから、ジュースをやめて、紅茶を飲むようになったのだが、最近飲んでいたのが、友達の出産の内祝いでいただいた、高いちゃんとした紅茶だったから、もうLiptonとかに戻れなくなってしまった過程がある。
本屋で見かけたチョコレートティーだったが、めっちゃ美味しい。すごく美味しい。チョコレート珈琲はチョコレートの味がするけど、チョコレート紅茶はチョコレートの味がしない。でも、そこも好き。すっと鼻に通るカカオの香りが優しくて心地よくて、不思議で大好き。
やっぱり、わたしはチョコレートが大好きみたい。

ちなみに、チョコレート風味のクラフトビールも最近飲んだが、それは美味しくなかった。

次は、美味しいチョコレート水とか見つけてみたい。

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