※ネタバレあり!※「すずめの戸締まり」感想

※ご注意※
この記事では、映画「すずめの戸締まり」のストーリーに関する結末を含むネタバレに言及しています。
まだ観ていないかたは、映画本編をご覧になってから、もしくは原作小説を読んでいただいてからお読みになることをお薦めいたします。


まず、正直に言おう。
わたしは新海誠監督作品の筋金入りのファン、という訳ではない。
こちらのネタバレなしの感想

にも書いたのだが、人によっては「キャスト目当てで観に行ったんでしょ?」と思うかも知れない。
それは間違いだと言うつもりはない。
だが、この作品を観て、純粋にこの作品が好きだと言える。
それだけは確かだ。

金曜ロードショーで先行公開された、冒頭12分の部分。
事前に公式発表として『緊急地震速報のアラーム』及び『地震が起こるシーン』が描写される、と注意喚起されていた。
この発表は本当に有難かった。
自分は東北に住んでいるからか、緊急地震速報のアラームが鳴ると「あの日」のことを思い出してしまうから。
我ながら過剰反応なのかも知れないとも思うが、今も地震が起きるとどれだけ微かな揺れでも「今から揺れが大きくなるかも知れない」と思って必要以上に身構えてしまう。
また、近年も何度かこの辺りで大きめの地震が起き、小さくはない揺れを体感している。だから尚のこと地震と緊急地震速報はある種のトラウマ発生装置になっていた。
(余談だが、別な映像作品でやはり大きめの地震の描写があり、それを知らずに観ていた際はかなり心臓が跳ね上がる思いだった)
結論として、自分は注意喚起のおかげで作中のそれらに耐えることができた。
アラームが鳴り響く度に身の縮む思いをしたが、その部分だけはあの注意喚起を思い出して「これはフィクション、これはフィクション」と自分に言い聞かせた。

物語そのものは冒頭から引き込まれて、すずめが草太と出会うことから始まる冒険の旅にハラハラドキドキさせられた。
フェリーの中でダイジンを追いつめた…と思いきやダイジンは軽々とジャンプして通りかかった漁船に乗り逃亡、の場面のテンポが良くて、またそこで流れていた劇伴がトランペットの際立つジャズ系の曲だったからか、ルパン三世へのオマージュ?いいじゃん!と思った。
フェリーが着いた先で「君は帰りなさい」と息巻く草太、でも椅子に変えられた姿でどうやって…と思った次のシーンでまんまとすずめに捕まっている草太に思わず笑ってしまった。
終盤に芹澤の車で流れる「ルージュの伝言」。
これもジブリ作品へのオマージュなのだろうと思った。ある覚悟を決めた女の子が旅立つ話。芹澤も「ちょうど猫もいるし」と言っているので狙ったのだろう。この映画の世界の中にもジブリ映画がある、と思えるのがなんだか嬉しくて、企業名や駅名などがさまざま実名で出てくる中でもわたしの中では一番立体感がある描写だったように思えた。

すずめと関わる人達も個性的。
愛媛で出会う、すずめと同い年の千果。快活で、すずめよりちょっとだけ大人びているところもあるよう。
2人の子を育てながらスナックで働くルミ。すずめの旅を受け入れながらも、夜中まで帰ってこないことはちゃんと叱れる人。
草太の友人(悪友?)芹澤は見るからにチャラい大学生といった感じ。でも草太が教採の2次試験に来ていないことを知ると自分も受ける気を無くし、すずめが草太と再会するための旅に(彼女を追いかけてきた環も一緒に)付き合ってくれる、友達思いの案外いい奴。芹澤自身の話ではないが、オープンカーの屋根部分がうまく閉まらなかったのに事故ったはずみでちゃんと閉まった…と思いきや逆にドアが外れたシーンは笑ってしまった。このご時世でなければもっと大声で笑っていたかも。
草太の祖父・羊朗は厳格なのだろうということが態度からも見て取れる。サダイジンに語りかけるワンシーンだけで、彼自身閉じ師としてどんな出来事があったのだろうと思わされ、そちらの物語も見てみたくなった。

そして誰よりもすずめと長い時間を過ごし、放任と言いながら大切に思ってきた叔母の環。
環がひた隠しにしていた自分の本音をぶちまけてしまうあたりはちょっと怖さも感じたが、後ろにいたサダイジンの瘴気に当てられたとでも言うべきか。キツネに憑かれた人、みたいなものなのだろうか。
きっかけは何であれ、環がただ善意だけ抱えている訳ではない、というのは人間臭くて逆によかった。突然いなくなってしまった姉の子を心の準備もなく我が子のように育てなくてはならないという状況は、自分だったらいくら血の繋がった姉妹でも動揺してしまうだろうから。
それでも環が誠心誠意、且つ縛りつけすぎないようにすずめを育ててきたのだということは、すずめ自身を見ていればわかる。かわいいお弁当ひとつ取ってもそう。冒頭であれを口にしないまま学校を後にしてしまったように見えたので、ちょっと代わりに食べてあげたい!と思ってしまった。

しかしながら、この作品のテーマ…と言い切ってしまっていいかどうかわからないが、ある種この映画からのメッセージとしてわたしが受け取ったものがあった。

ヒントは最初から出ていた。
公開されていた序盤のシーンから薄々明かされていたのだ。
草太が祝詞を唱え出すと聞こえてきた、かつてその場所に響いていたであろう人々の楽しそうな声。
人々がそこからいなくなったとしても、その『想い』はその場所に在る…
という描写に、あの出来事をぼんやりと思い浮かべてはいたものの、まさかそれそのものを持ってくるとは思わなかった。

幼いすずめが黒いクレヨンで日記帳を塗り潰していた時に、どうして気付かなかったのだろう。
彼女が、あの真っ黒く変わり果てて暴れ回り、善悪の判断もなくあらゆるものを奪い去っていった波を見た人物のひとりだったということを。

これはこの国を文字通り揺るがす大災害と、それによって大切な存在を失ってしまった当事者の話だったのだ。

話は逸れるが、わたしも「あの日」東北にいた。わたし自身は内陸在住なので、揺れて家にヒビが入った程度で済んだのだが、幼い頃に親から連れて行ってもらった所だったり、当時勤めていた会社と付き合いがある所だったりが波に攫われてしまって、特に火事で燃え盛る町がテレビで映されているのを見た時は、この町は終わった、とさえ思って絶望感に襲われた。
東北に住んでいるとわかる人もいるかも知れないが、特にNHK仙台放送局などは所謂「被災3県」と呼ばれるところに今も足繁く通い、現地の人に取材してその後の歩みを届けてくれている。
わたし自身も何度か海側の地域に足を運んだり、災害関連のテレビ番組を観たり「あの日」を経験した人を描く別な映像作品を観たりもした。
「他人事」にしたくなかった。「あの日」のことやそこから得た教訓を後世に伝えたいと思いながらも、自分1人ではどうすればいいかわからないまま徒に時間が経っていたのだった。
なのに確証が持てなかった自分が悔しい。
建物の上に乗り上げた漁船などは象徴的な描写だったのに。

終盤、幼いすずめが暮らしていた町の『かつての』風景が2人の目の前に現れ、そこから聞こえてくる人々の声、声、声…
「行ってらっしゃい」「行ってきます」が最期の会話になってしまった人たちの声。
まさしく「あの日」を経験した人から聞こえてきた声だとわかる。
些細なことで喧嘩してちゃんと挨拶できないまま、それが最期になってしまった人もいると聞く。
それらを思うと涙を禁じ得なかった。

そしてそのあと「あの日」のすずめに出会ったとき、泣きじゃくるかつての自分に向かって告げた言葉。
ああ、きっとこれは監督のメッセージなのだ、傷を抱えたすべての人に伝えたいのだ、と思った。
「あの日」に対する想いを作品に乗せて発表したクリエイターはこの世に何人もいると思うが、世界中にファンがいる新海監督の作品なら、そしてこの「すずめの戸締まり」という作品なら、沢山の人に『どんなに大変なことがあっても、生きていればきっと良いことがあるんだよ』という想いが届くのだと思った。
感想はさまざまだから、人とタイミングによっては傷口が広がってしまうこともあるのかも知れないのでわたしから気軽に勧めることは憚られるが、監督からのメッセージが1人でも多くの人に伝わることを願う気持ちが止まらなくなり、今回このような記事になった。

改めて新海監督、こんなに素晴らしい作品を世に送り出してくださって本当にありがとうございます。
既に大ヒットになってはいるようですが、もっともっと沢山の人の心にこの作品が届きますように。


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