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責任という言葉について思うところ

問題が起きた結果に対しての責任を取るだけでなく、
問題を起こさない責任もある。

ある講演でシニアのプロジェクトマネージャーが言った言葉で、今年一番印象に残っている言葉である。私もPMの端くれであり、火の用心とときには見回りし、燃えそうなものやたこ足配線のような状態をを早く見つけ、消し止める黒子のような存在を目指したいものである。

ここで書きたいことは、責任を追及していくことは、玉ねぎの皮をむくことに似ていると思う。玉ねぎは存在するが、むいていくと最後は何もない。法人という言葉あるように、組織は人で構成されているが、その実態は、ないだから、法の人なのだ。これは、むしろお化けに近いのものではないかと最近思った。

分かりにくい例かもれないが、自分の実体験を通じて、少しでもこのお化けの存在について、共感頂けると幸いである。

先週プールに行った際、名前、住所、連絡先と体温を書くように指示された。(1.5年以上続けている)毎回違う受付の人に、これはいつまで続けるのか聞いてたところ、上からの指示あるまで、テレビの情報をよく見ることと言われた。では、その上とは何か。ここからは、私の想像。

自治体→市区町村→県→国と辿っていった場合、責任者に行きついたとする。仮に岸〇総理でも天〇でも良い。岸〇総理は、自治体のトップに任せていると言う。自治体トップに問い合わせした際、それは国の指示と言う。
つまり、国→総理→自治体のトップ→国の無限ループに入る。
これはたねぎの皮をむくことに似ていないだろうか。
責任の所在はあるようで存在しない。そうお化けである。

もうひとつ。社内決裁を取得し、めでたく受注した。
しかし、受注後に大きな問題が発生した。責任の所在を辿るため
当時の決裁者を確認したが、もう別の人に後退している。
責任の所在を聞いても、当事者でないから知らないという。
さらにその上の上司に聞いてもわからない。
一体何のための決裁だったのか。あるようで存在していない一体この責任の所在は、何か。そう、これもお化けである。

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