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目に見えない障害を抱えながら生きていく。

うまく言えないのだけれど、自分に比べて周りの人はちゃんとしているという感覚がずっとある。仕事にしても子育てにしても生き方にしても。なんで私は人並みのことができないんだろう。

そんな考え方こそ、自分を責めているほかないと今は思うのだけれど、ずっとそうやって生きてきたんだからしょうがない。

突発性難聴になって体の一部が衰えたことで、私の「自分は人よりまともじゃない」感はより強まった。「こんな自分、消えてしまいたい」と何度か思った。

「他の人を見ていると、自分よりも元気で苦しんでないように思えてしまうんです」

ある日ついに、最近通っている整体の先生にそうこぼした。

「それはねぇ、そう見えるだけだって。僕は毎日たくさんの人の体を見て話を聞いてるけど、それはもう本当にみんないろんな悩みを抱えているよ」

と先生は言った。そのころの私は完全に、悲劇のヒロイン状態に陥っていたと言える。

少し前に興味深い記事を読んだ。なんとアメリカ人の約10%が「目に見えない障害」を持っているというのだ。

私の難聴も、目には見えない障害だと言える。ほかにも外傷性脳損傷、線維筋痛症、糖尿病、てんかんを始め、学習障害に自閉症、ADHD、双極性障害、不安障害……これほどあるのかと驚くほど、記事にはまだまだ多くの名前が記されている。

参照 Women'sHealth「難聴やてんかん、PTSDetc. 10人に1人はいると言われる『目に見えない障害』とは?」

多くの人が目には見えない障害を抱えながら生きている。それはアメリカに限らず日本だって同じだろう。

本当に私が見えていなかっただけで、見えないところで不自由さを抱えている人はたくさんいるのだ。

障害だけじゃない、たとえば家庭が荒んでいたり、お酒や買い物などに依存するのをやめられなかったり、過去の傷を今も引きずっていたり。外では笑っていても実は苦しんでいるという人はどれほどいるだろうか。

そして、私だって他の人からすれば、健康で問題なさそうな一人かもしれない。私の障害は、私の苦しみは、外からは見えないのだから。

多くの人が何かを抱えながら、それでも生きている。そう思えば、この耳鳴りや耳閉感ともなんとか折り合いをつけていこうと少しは思えるし、自分が感じる孤独感がやわらぐような気がする。

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