余計なことをしたいから余裕が欲しいのかも!
やるべきことをスピーディーにこなしていくには、優先順位をしっかり把握して、余計なことをしないようにすることが肝心なのだと思うけど、
効率を上げれば上げるほど、機械みたいになっていくな〜、と思いました。
有益なことは有益だから価値があるけど、無益なことにも無益だからこその価値があるな〜、と思ったんです。
「タバコを吸う」とかね。
お金は減るし、健康を害するし。
そういう、理に適ってないことを、理に適ってなくてもすることによって、その人がその人らしくなるのかな、と。
この文章にしたって、こんなん書いてるヒマがあるなら働くとか勉強するとかしたほうがマシな人間になれて有益なんじゃないか、と思うし、読んでる人の貴重な時間を奪うかもしれなくて、無益どころか有害って感じかもしれなくて、
でも僕を僕たらしめる要素になってると思うんです。
「俺はまだ本気出してないだけ」
って心のセーフティネットとして大事だと思ってます。
ベストを尽くして生きてしまうと、それでも幸福だと思えない場合、絶望的な気持ちになってしまいそうじゃないですか。
「私は何も悪いことしてないのに」
って嘆いてる人いるじゃないですか。
あれ、すごくツラそうじゃないですか。
僕は悪いこと沢山してきた自覚があるので
「私は何も悪いことしてないのに」
と思うことができないし、 できないほうがいいと思うんです。
むしろ
「悪いこと沢山してきた自分が幸せになっていいのか?」
と思いながら生きたほうが精神衛生上よいと思うんです。
そう思えるように、若いうちに沢山悪いことをしておいたほうがよいんじゃないか、とさえ思います。
「こんなに頑張ってる自分は報われるべきだ」
と思うぐらい頑張ってしまうと、報われないときツラいから、あえてサボっておく。
そしたら
「まあサボってたしな、うまく行かなくても自業自得だな」
と思えて気持ちがラクだと思います。
ポンコツな人ほど
「自分は人より能力が低いんだから努力でカバーせにゃ」
と思ってしまいがちですが、
というより、周囲の人からそういうふうに思うよう強いられがちですが、
生まれながらの能力の低さの責任をとらされるのって、正直、理不尽じゃないですか。
ちょっと練習したらすぐ上手にできるようになる人は、人から褒められたり羨ましがられたり頼られたりしながら生きられて幸せなのに、
どうして沢山練習しても上手にならない人が「人よりできないんだから必死で頑張らなきゃいけない」と責められなきゃいけないんですか。
むしろポンコツな人ほど、ベストを尽くすべきではないと思います。
限界まで頑張ってもうまくいかない場合、自分のせいじゃないからツラい。
たいして頑張らなくてうまくいかない場合、
「もっと頑張ってたらうまくいってたかもしれない」
と思う余地が残ります。
タイトルを書いた時点で書きたかったことと、実際に書いてることがズレてしまってるので、タイトルに書いたことの話をします。
今日は久々に5時台に目が覚めたので、朝から余裕があって、いろいろ余計なことをしたり、余計なことを考えることができて、とても楽しいです。
遊びって「余計なこと」というか。
「役に立たないこと」なんですよね。
「それ自体に価値があるように感じること」かな?
「タバコを吸う」なんて、かなり質の高い「遊び」ですよね。
無益であればあるほどいいし、もしかすると、有害であればあるほどいいのかもしれないです。
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