2020の暑い夏が終わる。

なんという舞台だったんだろう、もちろんいい意味で。
毎日、ふとした瞬間に思い出しては考えている。
生の高橋一生さんに逢えた事はもはや、二の次で・・・
(舞台でしか会えない一生さんに逢えた事は嬉しい)

私は残念な人で、大千穐楽は、かなり後ろの席で、
トラブルに気が付いてなかった。
クライミングもあんなに高く上って大丈夫かな?
とちょっと思ったくらい。

初日と中間、大千穐楽以外にも繰り返し行けて
その変化を感じ取れたら最高だと思うけど
小市民なので、そうもいかない。というか
仮に連日通ったとしても、記憶が曖昧なので
気が付かないかもしれない。

大穐は前の方で観た時には気付く事が出来なかった
演技以外の演出・・全体が赤く照らされた客席、
肉の海にされてるじゃない!とか、
舞台・板にも及ぶプロジェクションマッピング!
とか、客席を照らすスポットライトとか・・。
福岡で1回、大阪前楽、2回とも前の方だったので
気が付いていなかったので、驚きました。
(ゴリラの穴くらいは見えてた)
やっと最近、開き直って舞台は生もの、
一回一回で完結し、そこに感情を揺さぶられる
何かがあればそれで良いと思えるようになりました。

大千穐楽はそんな感じで広く俯瞰していて・・。
後方の席になったことで、
高橋一生さんの姿ばかり追って見えていなかった
橋本ロマンスさんの動きが観れるようになった。

その動きが、雄弁に語るGenius lul-lulの言葉とは
ちょっと違うニュアンスを伝えているように思えた。

じゃあ、Genius lul-lul の頭の中にある思いは
何だったのか。何せ、沈黙は金だし、
いろんな話を繰り返しても、
Genius lul-lul の頭の中の真実にはたどりつけない。

答え合わせは必要ないと言われても
それぞれの胸に答えがあっていいとしても。
忘れないうちに自分の感情を整理して記録しておきたい。


本題とは遠いかもしれない。
かもじゃないな、全然遠い。2020年全く関係ない。
偏った全体主義で押しつぶされた想いとはちょっとかけ離れた。
うまく言葉を紡いで寄り添えそうにない。


私はずっと、子供の頃からどこか生き難さを感じてた。
おそらく日々の悩みの殆どが人間関係の悩みで、
自分と違う考え方に説明もなくルールだからと
従わなければならない事でその悩みが起こったと思う。
納得が行くように説明を求めても出来ないか
付き合ってはもらえない事が殆ど・・
何故なら、おそらく
ルール上にいる人たちのほとんどが
納得しているわけではない、
あるいは、何も意味を理解していないか。
だから納得が行く説明などできるはずもない。

疑問を持つ人はストレスを抱え込む。
ルールには乗っかるけど、納得していないからだ。
気に入らないことに辛抱しているから、
ルールに乗っからない人の事が羨ましかったり
妬ましかったりする。
なぜ?自分は我慢しているのに・・
なかなかスルーができない。
一塊の側にいる事に居心地の悪さを感じる。

だから、迎合しない、好きにしたい。
何を?何について?・・・
そう思いながらずっと生きてきた。

出来るだけ自分で情報を集めて自分で判断する。
出来る範囲で必要なら、合わせる。
絶対嫌な事、間違っていると判断した事には乗っからない。
仲良しに誘われても断る。
それ普通でしょって?(笑)
いろいろ言ってるけど結果は案外普通?

一塊の輪郭って案外ぼんやりしている。
自分はみんなのようにやっていけていない、と
居心地の悪さからはみ出しているように
思っている人も許容範囲や個性の範囲に思える、
少なくとも真面目に考えた人の行動だもの、
でたらめではない。

人は集団生活を行う過程で言葉を覚えて
そのために脳が発達したと言う説。
そして、日常的に接する限界が
概ね150人程度という説を聞いたことがある。
話し合いができそうな人数のような気がする。
一塊ってMaxこれくらいで良くない??

私は旅はほとんど一人でする。
道中、道を間違えても目的地には着く。
なぜ、最短ルートで行かなくてはいけないのか?
なぜ、最安値で行かなくてはいけないのか?
ナビの指図は受けん!!(笑)
(ナビは使い方次第で快適な旅をサポートしてくれます)
そうやって1週間ほど旅をすると、妙に人に優しくできる。
一人になると自分が少しわかる気がする。
私はずっと一人で居たいわけじゃないんだ。
自分という存在を認めてくれる人が欲しいんだろうな、って。


Genius lul-lul、君も一人になりたいわけじゃないよね。
Genius lul-lul、わかってくれる人は一人いればいい、
友達がたくさんほしいわけじゃないよね。君ってそういう意味だよね。







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