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オールカマー、新馬先生はこう見る。

プロローグ



人は「たら、れば」を繰り返して生きている。
「あの馬券を買わなければ」「あの馬を消さなければ」

「後悔を悔いるよりも、先の希望を生きていけ」

と僕の祖父はある時、語ってくれた。

確か大学の受験時に、第一志望に受からずに複雑な気持ちでいた僕にそう言ってくれたような気がする。

彼、すなわち母方の祖父は、電気家電の
開発者で日立の特許をいくつか持っていた技術者だった。
そして、ゴルフが好きな、アイスクリームと祖母をとても愛した人だった。
面白いことはあまり言わないけど、実直。
子供心に、そんな祖父がとても好きだなと思っていた。

ただ、僕は祖父と唯一、相容れないことがある。
祖父は読売巨人軍がとても好きで、原辰徳のファンだ。
残念ながら、その孫は、
幼少の頃より天邪鬼を絵に描いた父の教育を受け、純粋培養なアンチ巨人だったのだ。

そんな僕は、高校のある時分、今となっては詳細な理由も覚えていないけれど、学校に行きたくなくって、祖父の家に半年ほど住み着いた。

たぶん、親の離婚問題で辟易してたんだと思う。それか、初めての彼女を寝取られたのか。
今となってはもう覚えてない。

既に定年退職をしていた祖父は、
週末の夕方になると、ほぼ習慣で巨人戦をTVでつけて、アイスとビールを嗜みながら、
7回表を過ぎると、首を上下に睡魔と戦っていた。

巨人が負けていれば祖父を起こし、
巨人が勝っていたら寝かしたままでいた。
今思い返すと、とても愛おしい時間だった。

ある日、
巨人の槙原寛巳 投手が、
我が愛する広島相手に1本のヒットも許さずに試合が経過していて、祖父は珍しく、目を覚ましたままでテレビにくぎ付だったので、

僕は
「つまらねぇ」と毒づき、
僕はソファーにふて寝を決め込む。

祖父は嬉しそうに、
テレビとふてくされた僕の顔を覗き込む。

いよいよ、完全試合が見えてきた試合終盤に、祖父は思い出したかのように語り出した。

「なぁ知ってるか、日本で初めてノーヒットノーランを達成したのは巨人の選手なんだぞ」

「知らないよ、知りたくもないよ。」

と言いながら、祖父が初めて見に行った職業野球の話を嬉しそうな表情で、僕に話してくれた。

「今見ても、日本一早いストレートとドロップだけで阪神を抑えたんだぞ!」

普段は理系であまり与太話をしないはずの祖父が、その直球は160㎞は出てたのだとか、階段から落ちるみたいなカーブだとか、現実離れした夢物語を語っているのを不思議な気持ちで横目に見ていたくらいに、気付いたら槙原投手は完全試合を達成していた。

うるさいから、僕はリモコンでヒーローインタビュー中に、テレビの画面を消して、ささやかな抵抗をした。
それが祖父と最初で最後の喧嘩になった。
今、改めて考えると僕が全部悪い。
そもそも、僕は居候の身分なのだ。

僕がこんなことを急に思い出したのは、先日、雨宿りがてら入ったスーパーで祖父が大好きなアイスを久しぶりに見つけたからだけではないと思う。

「ビエネッタって、まだあったんだ。」

祖父に最後に食べさせてあげられたらよかった。
今でも、後悔してる。
あの時、入院しているとき、
病院売店だけでなく、もっと色んな店を駆け回ってれば、見つけられれば、
おじいちゃん、喜んでくれたかな。

今週は台風らしい。
だから、アイスを片手にビールを飲みながら
僕はゆっくり競馬を見ようと思う。
それでは、予想に入ろう。

調教順位

調教評価第1位

5 ヴェルドライゼンデ

1年半ぶりの前走から、最終追切の坂路では短距離馬かと思うような走りを見せた。
ラップは最後まで落ちないまま、とは言え力が入りすぎていない。
前走からの上昇度という点で更に評価を上げた。

調教評価第2位

4 ソーヴァリアント

骨折明けとは思えぬ動き。1週前は強めに。最終も1週前と同じくCWで追切ラスト1Fはタイムが出てきた。両方とも内側を回したのは中山を意識したものかと思う。

調教評価第3位

13 バビット

よく言えばリフレッシュして、気合満点。悪く言えば、力が入りすぎている。ただ、坂を全く苦にせず力強いという点で、近走の不調の時から気分よく走っているように見える。
あとは怪我明けでの状態だが、個人的には想像していたより数段いい状態。
人気薄の単独逃げなら。

調教評価第4位

8 デアリングタクト

1週前の追い切りでは、復帰後の中で一番よく見えたが、坂路の最終追切でも、同様によく見えた。ストライドが全盛期に比べれば、まだ小さくまとまっているのだが、重さみたいなものが消えている。前走より走れる状態だと判断した。

調教評価第5位

10 テーオーロイヤル

一週前に7FのCWでタイムを出し、最終坂路でも馬なりで好タイム。とにかく順調。
前走からの伸び代という点でもキープ。
とにかく全体として、調子がいいというのが伝わる。

その他

1 ロバートソンキー

本当は選外の予定だった。最終追切の坂路があまりに制御できていない。
1週前を見ると、馬を追っかけて坂路に入ってからスピードを上げていた。この馬は、前に馬がいた方がいい走りが出来る。
展開的に不利かもしれないが、馬場が悪い中で走ってきた経験は多く、バビットなど先行馬が多い展開で利はあるかもと考える。
最内から潜って、我慢して最後出てくるこの枠は怖い。

エピローグ


祖父が子供のような顔をして、僕に語ってくれたピッチャーの話。
そのピッチャーの名は沢村栄治と言った。

その時は聞いたことあるな、くらいで済ませていた。
なんとなく、大人になってから、彼の足跡を辿っていく。

巨人の永久欠番で燦然と輝く14。
沢村賞の元となった偉大なる選手。
沢村選手は戦争で亡くなった。


嘘か誠か、国営放送で今、沢村が投げた球速を測ると159km相当だったという。
じいちゃんの話、本当だったんだな。

戦後77年。奇しくも今年、遠く東欧では、あの時と同じように、戦いが行われている。
戦地に行く直前で、終戦を迎えた祖父が、
幸せに食べたいものを食べ、競馬が見れる幸せな時代の今を生きていたらどう思うのだろう。
大好きな沢村が戦争で肩を壊さなかった話をしてみたかった。

ビエネッタとビールで乾杯したかったな。

おじいちゃん知ってるかい、沢村が最初につけていた背番号は17で、あの日喧嘩になった槙原と同じ背番号なんだよ。

後悔してもしきれないこともある。
入院した時、祖父にもっと会っとけば良かった。
ビエネッタ探しておけば。

そんな祖父がテレビを見ながら、よく言っていたことを思い出す。

「野球はさ、キャッチャーがいて、球を受けて初めて成り立つんだ」


と。
沢村が投げた剛球を受けていた捕手がいて、野球は成り立つ。
どんな技術も使いこなす腕があって初めて活きるのだと。
競馬もまた然り。
その馬と呼吸を合わせる騎手の腕がいて初めて成り立つ。


日本球界で初めて、沢村選手がノーヒットノーランという偉業を達成した9月25日に行われるオールカマー。

そう、色々調べていくと、
沢村栄治が投げた剛球と縦に落ちるドロップを受け続けた捕手は中山武という。

そんなことを思い出しながら、
オールカマーの出馬表に目を向ける。

沢村栄治投手と中山武捕手の86年前の偉業。
9月25日。

その馬はキャリア14戦。沢村と同じ背番号。
3着以内は8回、着外は6回。86年前。
騎手は、あの時の捕手と同じ名前。
ピンかパーなら、

2022年オールカマー、僕の本命は
◎ 2 ジェラルディーナ

その牝馬の馬名は惑星から由来する。
日本の星として、メジャーリーガーを打ち負かした英傑に敬意を表して。

中山競馬場で史が僕の夢の再現を。

あとは14番と17番がいないので、
1+4=5のヴェルトライゼンデと
1+7=8のデアリングタクトを絡めた馬券を。
2.5.8の馬連とワイドBOXで。


僕は祖父の命日へ送るビエネッタを探しに歩く。墓前には単勝馬券とアイスを置いておこう。

きっと、じいちゃんは
「そんな、青臭い理由で買うギャンブルなんてやめておけ」
と静かな笑いを浮かべて、アイスクリームだけをもらってくれるはずだ。

いいんだ、あなたの孫は、貴方に似てない、天邪鬼でアンチ巨人なギャンブル好きだ。
少し遠くから見守っていてください。

この馬券を買わないで、たらればを言うより
先の希望を見て生きていかなきゃ。
ね、じいちゃん。

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