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信仰と支援

今日、とある若いメンバーと支援活動について話し合った。
そのメンバーは自営業を営んでおり、バリバリのビジネスマン。故に頭の回転も早く、人脈も広い。そんな彼は、僕に悩みを打ち明けてくれた。

「創価学会員が、公明党って言うだけで、無条件に支援する事に違和感を感じる。」との事。
彼曰く、人間性が分からないのに、何故信用できるのかと言う事だそうだ。つまり、人物本位なら別の政党にも素晴らしい人はいるのではないか言いたいのだ。事実、自営業の彼は多くの議員さんと関わりがあり、仕事ができる議員さんを良く知っている。だからこそ出る意見だろう。しかしながら、この話の本質は、今の若年層の学会員さんの支援活動に対する気持ちにとても近いのではないかと思い、この時の会話をnoteにまとめておこうと思った。この若い僕の後輩はまるまる納得したとは言い難いが、「ここまで深い話しができてとても良かった」と言ってくれたので、ある一定の効果はあったと思われるので参考にしていただければと思う。

まず僕はこう答えた。
「人物本位なのは当然。選挙がある以上仕事できない議員さんは淘汰される。ただ、この「仕事ができる」と「自分のニーズを満足させる」は違うと言う事を注意しなければならない。また、必ずしも公明の議員さんの得意分野と自分のニーズは一致する訳ではない。」

後輩

「確かに。自分のニーズとマッチしてない感はある。正直、自分の支援している議員さんよりも他の議員さんの方がマッチしてる。でも、その点で言うと支援できないって事になるがそれでは公明党支援から外れてしまう。でも先生の創設した公明から離れることはしたくない。この矛盾をどう折り合いをつけていけば良いのか。」

ふむ。かなり本質を抉ってきた。

「ちょいと難しい話しになってきたから分解してみよう。支援活動と信仰活動とを分けて、それぞれの側面から見てみたらどうだろう。

まず、支援活動としては先に君が言った通りだ。人物本位で、各個人のニーズに基づいて行くと、マッチしない場合が出てくる。だから飲み込めなかったり、納得できない事が出てくるだろう。だが、僕らは信仰活動と言う側面から見る事ができる。信仰活動と言う角度で見ると、政党を支援する事はどう言う意味を持つのか。それは日蓮仏法の思想を現代に適応させ制度として使用させると言う意味になると思う。例えるなら、理論上の化学法則を現実の便利な道具へと転換することと同じ様な事だ。化学法則を実験で証明しようとした時、現実世界での様々な前提条件や、不確定要素が複雑に絡み合って、法則通りの結果にならないことも多い。思想も同じで、時代や文化などの諸条件、バイアスなど不確定要素が理想通りの振る舞いを阻んでくる。そんな中で、それでも現代という時代に、現実世界に適応させて応用していく事で起こるズレや変化の一つ一つが、君の感じてる違和感なのかも知れない。しかし大きな目で見た時には、やはり日蓮仏法を現代に応用した結果であると僕は理解している。」

後輩君は食い付く。
「でも、結局は僕が感じてる違和感は、時代に合ってないって事になりませんか?」

「そうだね。時代は大きく変化してるからその違和感は時代に適応させる為の大事なセンサーみたいな役目になってるのかもね。そうやって軌道修正を繰り返しながら、時代にちゃんと適応していかせるようにしないとね。」

ここで後輩君の心に潜む本当の不信が顔を覗けた。

「そこが一番不安になる所なんですよね。学会は本当に正しい方向に向かってるのか、公明は本当に先生の思想を現実にしようとしてるのか、時代とのギャップを感じる時、このままで大丈夫なのかって思ってしまいます。どうやって納得して戦ってるのですか?」

なるほど、後輩君は組織への信頼が根っこの部分で揺らぐ傾向にあるのだ。根が深い悩みであると共に、それでも健気に信じて戦いたい顔が見て取れてなんともいじらしく、可愛らしい。なんとか不信を打ち破って上げたいと思いつつ答える。

「どうも、僕と君の間には大きく感覚の違いがある様だ。まず、僕は創価学会全体が、沢山の人を乗せて幸福へと進んで行く大乗仏教の言葉通りの大きな船だと思っている。この船のクルー(船員)となって同じ方向へ進めば自然と幸福になっていく秀逸なシステムが構築された巨大な船であり、ここへの絶対的信頼がある。あくまで支援の戦いもこの船の中に包含されていると言う認識だから、ある意味で人間性を超えた所で支援をしている感覚だ。これははこの絶対的信頼がないと成り立たない。この信頼という点において、君と僕の感覚の違いが大きいと感じる。」

ここから、後輩君の反応は変わってくる。

「学会は正しい方向へ進んでいるのでしょうか?単純に、「公明党は正しい」とか「学会は正しい」と言われても、納得できるような説明を受けた事がないんです。「正しい」って立場を変えれば変わるものじゃないですか?どうしてそこまで信頼できるのでしょうか?」

僕は言葉を振り絞って答える。

「"正しい"って何だろうね。それは立場のよって変わるよね。僕は正直、"正しい"って言葉は嫌いだ。自分にとっての"正しい"は、時として相手を傷つけてる事がある事を認識しなくてはならないし、殆どの場合、「自分の立場から見たら正しい」という領域を出ない。一側面からしか見ない"正しい"は、寛容性のカケラもない薄っぺらい考えだ。だとしたら、僕らはどういう方向へ向くべきなのか。この問題について僕の中での結論は、どの立場から見たら"正しい"かを考えるより、様々な立場がある事を踏まえた上で、自分自身がどの立場に立って生きて行くかを明確にする事が最も大事だと思う。つまり、自分の生きて行く立場を決める事、その決めた立場から様々な判断をする事だ。僕は創価学会という立場に立って生きて行く事を選択した。だから日蓮仏法という「物差し」で様々なものを計って判断していく。色々な意見に左右され、結局その立場を明確にしない人に"正しい"判断などできようはずがないからだ。その道を選び取っていく強さを手にするのが信仰活動だと思うよ。だから色んな姿をしながら、迷いの心へと導こうとする力が働く支援活動は鍛える為の修行の一環なんじゃないかなと思ってる。だから人物本位でなくても本気でできるんじゃないかな。」

「凄い確信ですね。というか、自分の立場を明確にするって言葉がかなりグサっときました。正しいか正しくないかではなく、自分がどう在りたいのかを決める勇気が持ててない気がします。こんなに確信の深い言葉で言われる事が無かったし、こんな話しってなかなか出来ないから凄くタメになりました。学会という船は幸福をもたらす方向へ進んでいるんだという信頼はまだ持てませんが、先輩を見てるとそうなのかもって思えてきます。ありがとうございました。」

この後からは学会教義の普遍性や、政治権力と宗教の関わりなどにも話しが及びましたが、大体の趣旨はこんなところです。

嘘偽りない、実際の対話内容をほぼそのまま文章に書き起こしました。

皆さんも様々なご意見があると思いますが、あくまで一例として参考にしていただけるならと思いましてnoteにしてみました。最後までお読みいただきありがとうございました♪





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