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それは見えない景色



先日、ライブに行ってきました
PELICAN FANCLUBというスリーピースバンドのライブ
そのPELICAN FANCLUBはメジャーデビュー4年を経てメジャーファーストフルアルバムを来月リリースします
そのアルバムを携えて、ワンマンツアーが始まったということで
2/23 ライブハウス千葉LOOKで ツアーの初日を見届けてきました

本当に良かった。
このバンドを好きな自分が堪らなく好き


ふとしたきっかけでバントのvo.であるエンドウアンリさんのTwitterを覗くことから始まり
このバンドを このバンドが魅せてくれる世界を自分の中に核として存在させたい 
と思ったのが大体去年の11月頃



その世界と自分が抱いてきた感情とがリンクした部分が多かった 
過去だけではなく新しいものを得るためのヒントになるような 未来に繋がるものが美しく散りばめられた世界に私は連れていかれた


ヒントといえば
まさしく アルバムのタイトルが

"解放のヒント" で

このタイトルに込められたアンリさんの思いがまた 感慨深い


話は少し変わって

ライブで 愛について考えさせられた
という話



自分が好きなものでも他人に理解されないもの、あるでしょう?僕は自分自身そういうものがたくさんある
でも それを愛してあげられるのって自分しかいない
そしてそれを愛するためには まず自分のことを愛してあげないといけない
それに準じて
コンプレックスばかりだった過去の自分を受け入れたい
昔の自分を抱きしめてあげれるのは今を生きるこの自分しかいないから


確か  こういうニュアンスのことを言っていて

前回の投稿で いつからか自分の中で大切なものが消えました という話を書きましたが
大切なものを構成していた中に 愛はあったのでしょうか
向き合うか 蓋をするか 
現実に生かされて現実に殺されている


自己愛についてはずっと考えている
上手く処理できないまま もう何年も経ってしまいました
ただ 自己愛と他者愛とでは本質が違うと思うので
それはまたの機会に噛み砕いていきたい




アンリさんの言葉を飲み込んで
愛が分かった気になっている自分を 
とても世には放ちたくはないですが



それを踏まえた上で
PELICAN FANCLUBというバンドを
自分自身責任を持って愛していける自信がある

愛に責任を感じてしまっている時点で この感情は愛ではないのでしょうか 私は歪んでいるので分からない
でも 無責任な愛というのはもっと歪んでいると思う

愛する という言葉 
日常生活では滅多に使わないので この言葉を使うことは未知の生物を扱うような心構えです



アンリさんと自分を同じ土俵に立てたいわけでは
ないですが

自分が良いと思う ものだったり考え方だったり
他人に理解されないこと 今まで割とあった

思い出せないこともあるけれど
その節その節の感覚が孤独となって 今も行き場を探している 
そもそも 他人に理解させるようにするまで 自分を振舞ってすらいなかったかもしれないけれど 

ただ  その理解されないものたちを愛する気持ち
というのは 今までの自分は
薄情ながら持ち合わせていなかった

そのものたちを 愛してあげたい 
そう思うだけで
こんな自分にしか こんな自分でも
私から見えている この世界は
そんなに悪いものでもないのではないか


そんな 感覚になる



今日の曲 新世解/PELICAN FANCLUB
彼らのメジャーファーストフルアルバムのうちの1曲で、私はこの曲の "景色が僕になれば良いのに"という歌詞が特に好きです 
あとアンリさんの声 彼の音域はこの曲の旋律ぐらいが
堪らなく痺れる




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