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誰だって主人公


前回のnoteからかなり期間が空いてしまいました。

高校生活が終わりに差し掛かり、
授業は無かったものの、
趣味やダンスやら思い返せば、
慌ただしい日々を送っていたと思います。

さて、久しぶりのnoteで何を書こうかって...

先日観に行った、ある公演についてです。


イマーシブシアター「鳳明館物語」


舞台はとある旅館。

そこに集まった多くの作家たち。

缶詰状態の作家たちが困難を乗り越え、
作品を完成させるまでのお話。


完全自由回遊型の没入体験。

18人のダンサーそれぞれに物語があり、
誰についていくかで見え方が変わっていく。

とても面白い体験でした。

もう一度、いや、何度も体験して、
他の人の視点でも物語を楽しみたいと思ってしまいます。


この公演の良さは、視点によって変わるということだけではなく、
ダンサーと観客の近さにもあります。

普段はステージから客席まで、
最前で見たとしても、
少なくとも2,3m近く距離が空いてしまうと思います。

しかし、今回は自分のすぐ目の前。
ほんの10cm先に。

実際の旅館で踊ったこともあり、
ほんの6畳の部屋とかもありました。

普段は気がつくことの出来ない、
指先や目線、呼吸まで感じることができました。

また次の公演があれば足を運んでみたいです。


誰もが主人公であり、脇役である


これが、今回の公演で気付いたこと。

人生という物語において、
主人公は自分自身。
ただ1人である。

しかし、人生という物語は人の数だけあり、
他の誰かの物語の中では、
自分自身は脇役なのである。

そして、物語は生きてさえいれば勝手に紡がれ、
1ページ、1ページと止まることなく進んでいく。

誰もが、主人公。
物語の中ではヒーローなのである。

でも、誰もがONE PIECEのルフィや、
ハイキュー‼︎の日向翔陽のようになる必要はない。

ただ、自分がなりたい自分になればいい。

そして、街ゆく人の物語に、
脇役として出ればいいのである。

自分以外の物語の主要キャラになるのは、
ほんの数人でいいと思う。

自分の物語に主要キャラとして、
出て欲しい人たち。

その人たちだけだ。

これを夜、
1人ボーッと天井を見上げながら考えました。

世の中の人は頑張りすぎているのではないかと。

多くの物語に出ようとするあまり、
自分の物語を疎かにしている。

こう考えれば少し、
肩の荷が降りて楽に生きられるのではないかと。

僕の物語はもうすぐ19年目に突入します。

今まで多くの人が出てきましたが、
主要キャラだなって言える人って、
思えばそんなに多くないのかもしれない。

それは自分が与えられる影響力と多分イコールになると思います。

春から環境が変わり、
主要キャラにも入れ替えが起きてしまうのだと思います。

次の4年間。

どんな物語を紡いでいこうか。




久しぶりにnoteを書いて、
あれ?こんな感じだっけ?って(笑)

書き方も考え方と同様に変化していくものなのでしょうか?

でも、本音を書ける。

僕にとってそんな場所がnoteです。

伝わるかどうか、
理解されるかどうかはとりあえず置いておいて、
自分自身を見つめる。

その機会があるかないか。

最近の自分は良くも悪くも悩みが多い。

それは自分がまた一歩成長することのできる兆しだと。

ありがたいことだと捉えることにします。

また、不定期でnote書いていこうと思います。

ではまた、次のnoteで。

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