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仮想現実で見つけたリアル

リアルはどこにあるのか

Virtual Realityという言葉は、日本語で仮想現実と訳される。
そこから連想されるのは、仮物や偽物などといった言葉だろう。

そこに映る人々や世界は幻想であり、
ひとたびヘッドマウントディスプレイを外せば消えてしまう。

本物のリアルは"現実"にこそ存在し、
仮想現実はそれを超える事のできない偽物でしかないのだろうか?

2021年3月に出会ったVRSNS『VRChat』の世界で、
英語を通じて自分が見てきたものをここに記そうと思う。
(この記事は、VRChat Advent Calender 2021の23日目の記事になります。
英語に翻訳したバージョンはこちら)

親との間に立ちふさがる言葉の壁

VRChatの話をする前に、まず自分の半生を話す必要がある。

自分は日本と中国のハーフである。
しかし、実際には両親とも中国で生まれ育っており、3歳で親に連れられ
日本に引っ越してきた自分は、親と"共通の母語"を持っていない。

親子間の間に言葉の壁が常に存在したため、次第に親と心を通わせることが難しくなっていき、自分の悩みを親に相談したことは一度もなかった。

親と共通の言語を持たないとどうなるか。

まず、理解しきれない中国語を耳にするうちに、その言語自体が嫌いになっていく。次第に自分が中国とのハーフで生まれた事実に対して、強い憤りを感じるようになる。自己肯定感は失われていき、人と心を通わせる経験を得られぬまま口数が少なくなっていく。

最終的にこの状況に対する唯一の抵抗として、
中国語を一切話さなくなった。

友人の家に遊びに行き、両親と共通の言語で話している光景を見るたびに、日本人として生まれてこなかった事実に耐えられなくなっていた。

中学校でいじめに遭った。
原因は分からないが、この出来事から他人を信じることが出来なくなり、
学校には通えなくなった。
学校に通わないまま中学校を卒業し高校に入学するも、
人とどう接すればいいのかが全くわからず、半年で辞めた。

人生の先がまるで見えず、ただ腐ったように生きていくか自殺して人生を
終わらせるか、その2つの選択肢しか目の前には残されていなかった。

中国で出会った一人の女子

両親が中国で育っていることから分かるように、
自分には中国で生活している中国人の親戚がいる。
その親戚の一人から、『中国の高校へ留学してみないか』という連絡が届いた。

何も選択肢が残されていなかった自分はこの提案を受け入れ、
消極的な気持ちのまま藁にもすがるような思いで中国へ留学することになった。

留学生活は地獄だったと思う。

日本の学校とは違う衛生面や慣れない環境の中、
寮制であったため、ただでさえ心を休ませないといけない精神状態で言葉の通じない生徒たちと学校の寮に泊まり、朝が来るのを怯えながら
毎日絶望的な気持ちで夜を迎えていたのを覚えている。

週に一度土曜日の夕方にしか親戚の家には帰れないため、唯一心を休ませられる時間は家のパソコンの前で日本のインターネットを見る時間だった。

何よりも辛かったのは、そんな状況に耐えることの出来ない自分自身を
責めてしまう事だった。

留学生活が半年を過ぎたころに心に限界が来て、そのまま学校の校庭で倒れてしまった。
もうこれで人生を終わりにしようと思いながら校内の休憩室で休んでいた時に、同じクラスの一人の女子が授業を抜け出して会いに来た。

彼女は、日本語を独学で勉強しており、日本の留学生が来ることを
一番喜んでいた同級生だ。
学校内でもトップの成績を持ち、同級生たちからも慕われているような
自分の目から見ても未来のある人間だった。

留学が始まってから間もない頃にも何度か声を掛けてきてくれたが、
人に心を開けなくなっていた自分は近づかれれば近づかれるほど、
その子と距離を置くようにしていた。

そんな彼女が、突然授業を抜け出してやってきたものだから、
投げやりな気持ちでもういつ死んでも構わないと思っている事をこぼした
瞬間、彼女は自分の両手を掴み

『もし死ぬのなら、私もいっしょに死ぬ』

と口にした。

もちろん、初めは耳を疑った。
彼女には死にたがる理由があるようには見えないし、自分と違い将来も明るいはずだ。
にも関わらず、その真っすぐな目を見ているとその場限りの嘘を付いているようには到底思えなかった。

他人の言葉を信じられなくなっていた自分は、この命懸けの行動によって
彼女の言っている事がまぎれもなく本心であると信じざるを得なかったのだ。

その日から自分は、彼女が命を懸けてでも救おうとしてくれた事に"報いる"ために、何があっても生きていこうと決心することになった。

留学を終え、偏差値は低いものの再度日本の高校に入り直し、大学、社会人と進んでいったが、それでも中国とのハーフである事に対する根本的な
"負い目"のような感覚は無くならなかった。

自分がハーフであることを話せば、友人関係が壊れてしまうかもしれないという恐怖心から心を閉ざし、常に偽りの自分を演じていた。

彼女の行動に報いるために前向きに生きようとしたが、町を歩くたびに
自分はこの社会の一員ではないような孤独感に支配されていた。

英語学習との出会い

3年前、ふとした理由から英語の勉強をやらざるを得なくなり
初めて文法書をのぞいた時、大きな衝撃を受けた。

中学校、高校と勉強どころではない状況であったため、自分は英語をまともに勉強したことがなく、英語圏の国や文化にも大した興味を持っていなかったのだが、英語の文法について知ったときに初めて英語圏の人たちが

"曖昧さのない、論理的な言語を話している"

という事実を知り、英語という言語そのものにとても強い興味を持った。
(そこには中国語からの逃避の側面もあったと思う。)

同時に、普通に学校生活を送ってきた大多数の人は当然知っているであろう英文法の知識を自分は知らなかったという事実に気付かされ、人生をリセットしたいと思うほど絶望的な気持ちになった。

留学や英会話学校に通う選択肢はなかった。
年齢的にも金銭的にもそういう状況ではなく、日本にいながら一人で独学をする道しか残されていなかった。

そんな時に、たまたま新井リオさんという方が書いた
独学3年間の努力と道のり。日本で英語が話せるようになった僕の勉強法
というブログ記事を見つけた。

そこから彼の事を調べていくと、そこには自分と同じように経済的な理由から留学を断念して独学をせざるを得なかった過去と、そこから独自に編み出した勉強方法と血の滲むような3年間の努力を通して独学で英語を話せるようになったという事実が記されていた。

正直、他人に心が開けないことも相まって自分が英語を話せるようになる未来は全く想像出来なかったが、彼の行動に非常に感銘を受けたこともあり、せめて自分に出来る最大限の努力はしようとその日から本気で英語の独学に取り組み始めた。

学生の頃の英語学習の下地がなく他の人より遥かに劣っている
自覚があったため、この3年間は誰よりも努力した。

朝起きた時から寝ている時まで常に英語の音声を流し続け、
外でも可能な限り常にシャドーイングを行い、毎日英語で日記を書きそれを無意識に話せるようになるまで暗記し続け、それを毎日オンライン英会話で実践し続けた。

結果、英語を話せるようになった。
けれどもその先に待っていたのは、

"日本に住んでいる限り、英語を話す機会はほとんどない"

という事実だった。

そこは、国境のない世界だった

今年の3月の初め頃に、Twitterを見ていると暴力 とも子さん作の"VRおじさんの初恋"という漫画がRTで流れてきた。その漫画の世界ではVR技術が発達しており、主人公の40代の男性はVR内で出会った女性アバターを使う男性と、
人生で初めて恋に落ちるという内容だった。

漫画を読み終え、たしかにVR技術がここまで発展し姿も声も変えられるようになったら、同性同士であっても中身で恋愛をすることは起こり得るのかなと思いながらリプライ欄を覗いていると、『VRChatでもう起きている』というリプライを見つけた。

VRChatでもう起きている??
これは、もう現実に起こっている出来事だなんてそんな馬鹿な。

このリプライを見たことからVRChatに強い関心を惹かれ、
ネットで情報を漁ろうとするも、どこにも情報が見当たらない。
それならばと思い、実際に自分の目で見ようとFacebookから発売されていたOculus Quest2の購入に踏み切った。

そこには、今まで見たことの無い衝撃的な世界が待っていた。


あちこちから聞こえてくる、大量の英語。
急に話しかけてくるベビーヨーダ。
天井を突き破るサイズの巨人に、何やら喧嘩をしている海外の子供たち。

ステージで何かを歌っているガイコツに、それに合わせて小さな動物の姿で身体を揺らす女性。

挙句の果てには、海外のキッズにアバターをクローンさせられ、
そのままおままごとに付き合わされた。

あまりに衝撃的なVR体験と、自分が望んでやまなかった英語を日常的に使えるかもしれない環境に遭遇し、その日は興奮して眠る事が出来なかった。

しばらくパブリックのインスタンスを巡ったあとに、日本人はどこにいるのだろう?と思い「JP] Tutorial worldにたどり着いた。
そこで見つけたイベントカレンダーにまた驚かされた。

"ここでは、社会が築かれている"

人々が生活を送り共にコミュニティを築き上げ、ワールドやアバターを
生み出し、まるでもう一つの社会が作られているような状況が起こっているという事実に驚愕した。

イベントカレンダーを見ていると、EN-JP Language Exchangeというイベントがsleeping_nowという方によって主催されている事を知り、そのワールドに行ってみた。

そこには、"国境がなかった"

みな、アバターを身に着けている事によって、人種も国籍も性別も全く判別が付かない。
あらゆる国の人間が日本語や英語で話をし、距離の壁を超えて友人になっている。
その輪の中に入る事によって、
自分は生まれて初めて"マイノリティ"ではなくなった。

ここでは、相手の国籍や人種や性別は関係ない。
重要なのは個人であり、今までずっと自分が苦しんできた中国とのハーフであるという束縛は、ここでは完全になくなる。

自分は生まれて初めて、
VRの世界に自分の居場所を見つける事が出来たのだ。

仮想現実は人の本質を映し出す

Virtual Realityは仮想現実と訳されるが、その英語が持つ本来の意味は
"見かけは異なるが、本質的に同じもの"という意味である。

VRで人と会うのがどういう感覚なのかを言葉にして説明するのは非常に難しいが、デジタル空間でありながら現実とほぼ同じ情報量(身体性)を持って交流できるというのが実態に近い説明になると思う。

この世界には"物理的な制約"がない。
人と実際に手を繋ぐことは出来ないし、触ろうとしてもその手はすり抜けてしまう。
当然、ご飯を食べることだって出来ない。

しかし同時に、"現実の世界に存在するあらゆる物理法則"から
解放される世界でもある。

どんなに現実で離れていても、距離の壁を超えて
まるで今、同じ空間で目の前にいるように感じられる。

姿形を自由に変えられることによって、生まれ持った容姿のコンプレックスから解放される。

性別や人種や、声や年齢など物理的な制約によって現実では変えることの
出来ない生まれ持った属性を変えられる。

この世界では、現実に存在するあらゆる物理法則から解放されることに
よって、より人の本質が浮き彫りになる場所なのだと知った。


2か月前に、ある一人のアメリカの少女とVRChatで知り合った。

年齢の壁を越えてフレンドになり一緒に遊んでいたところ、ふとスペイン語を勉強しているという事を知る。
少し気になり理由を聞いてみると、彼女は両親がメキシコで育っており彼女が小さい頃に家族でアメリカに越してきたため、親と共通の母語を持たないというのだ。


これには本当に驚いた。
この悩みは誰とも分かち合えない、一人で一生抱えていく悩みだとずっと思って生きてきたから、まさかVRChatを通して同じ悩みを抱える人と出逢うとは夢にも思わなかった。

ワールド名 : Mochie


You can't connect the dots looking forward, you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something — your gut, destiny, life, karma, whatever. This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life.

(将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなど
できません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。運命、カルマ…、何にせよ我々は何かを信じないとやっていけないのです。私はこのやり方で後悔したことはありません。
むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれたと思います。

「ハングリーであれ。愚か者であれ」 ジョブズ氏スピーチ全訳|日本経済新聞)

スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で行った
かの有名なスピーチだ。

自分の出生に苦しみ、生まれてこなければよかったと思いながらもそれでも生きていくしかなかった自分が、3年間の英語の独学を通じて
仮想現実でしか絶対に出逢えなかった人達と出会い、
自分をずっと苦しめ続けてきた悩みから解放してくれた。

もし、自分が留学に行けるほどの経済力、もしくは海外に移住する機会が
あったのならば、おそらくこの世界に来る選択肢を選ぶことは
なかったかもしれない。

自分をずっと縛り続けてきた苦しみや悩みがVRChatという仮想現実へと導き、それによって点と点が繋がった

自分は仮想現実を通して、中国で救ってくれた彼女の行動に報いるために
生きるのではなく、初めて純粋に自分の人生を生きたいと思えるようになったのだ。



本当のリアルはどこにあるのだろう?

それは、現実や仮想現実の中にあるのではなく、
人と人との心の繋がりの中にこそあるのかもしれない。


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