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2024あけました

2024年が始まった。年明けすぐに、近所の神社に初詣に行きおみくじを引いた。大吉だった。数日後、また引いてみたら末吉だった。数日でこんな変わるなんて株価の変動みたいだなあと思いつつ、まあ最初に引いたやつが今年の運勢だろと末吉は握り潰し比較的さわやかにスタートをきった。

今年はどんな年にしたいかなと考えてみる。26歳になる年である。私の思ってた26歳ってもっと色々手にしていると思ったのに、何も持ってなくてびっくりする。その上、意志が弱いのでかろうじて持っている長所、「アホ」な部分まで最近消えかけている。これは大問題。

困ったことに、私の「アホ」が発動する条件は、心の底から「面白い」と思った時、心の底から「これがしたい」と思った時。これは無理矢理ではいけなくて、100%全力で嘘偽りなく思わなければいけない。まるまる25年生きてきてわりといろんなものを見てきて、考えてきた「私」に、全力で「面白い!やりたい!」と言わせるのはけっこう骨が折れる。

実は、「私に面白いと思わせる」プロジェクト(思わせることができなければ「私」はニートになってしまうので全私をあげての大プロジェクトだった)は去年の後半から始まっていた。イラストに少し飽き始めていた私は、いろんなジャンルの本を見たり、新しい人に出会ったり、閉じていた興味を広げてみたりした。しかしそう簡単には見つからない。

半ば腐りながら、ぼーっとNetflixをみて現実逃避する。ひたすら流れ作業のようにアニメをみているうちに、「面白いしすごいんだけど、飽きたなあ」とか思い始める。最近のアニメは本当に作画も演出もすごい、でもだんだんそれが当たり前に感じてきて、真新しさを感じなくなる。なんだか綺麗すぎて好みじゃないなあとか思い始める。自分は絵一つ動かせないのになんてくそ生意気なんだろうと思うが、なんかもっと、動くという感動を感じるものをみたい。というより、「絵が動く」っていう奇跡みたいなことをもっと感じたい、なんて考えはじめていた。

何かを思いっきり感じたい時、1番手っ取り早い方法は「自分でやってみる」ことである。見てるだけでは物足りないなら、やればいい、作ってみればいい。

この時点で、そこまで強烈な衝動ではなかったのだが、右も左も分からないアニメーション制作をやってみるために手に取ってみた一冊の本の言葉に、心の底からドキドキしてしまった。その本が、山村浩二さんの「創作アニメーション入門:基礎知識と作画のヒント」という本で、こんな言葉が綴られていた。

「アニメーション」というと、多くの人は、日本のアニメや、漫画映画を思い浮かべるのではないでしょうか。また3DCG映画の普及によって、CGを指す場合もあるでしょう。ですが私は「アニメーション」の言葉の認識をもっと広げて捉えたいと思っています。
「アニメーション」は、その語源がラテン語の「アニマ」という言葉からきていて、「魂のないものに命を吹き込む」といった意味があります。魂のある生きものは自分の意志で動きます。これにカメラを向け、実写映像が作られます。しかし、生きものではない、それ自身は動かないものを映像上で動いたように錯覚させるもの、そのシステムがアニメーションです。アニメーションが成り立つために必要な最低枚数は、二枚(種類)です。そして複数の絵をすばやく連続して送る機構が必要です。そのとき、二枚の絵と絵を送る瞬間をさえぎる”闇”が二つの像をつなぎ、その見えない間がイマジネーションを湧かせ、動きの錯覚を作り出しているのです。アニメーションの”動きを作る”ということは、実はこの二枚の絵と絵の間という、目に見えないイマジネーションを創造することなのです。

山村浩二「創作アニメーション入門 基礎知識と作画のヒント」,六耀社,2017,p11

素敵な説明だと思った。実は根っからのロマンチストである私は、「アニメーション」に惚れてしまった。なんて美しいやつだろうと思った。もっと知りたくなった。

アニメーションの歴史を辿ってみると、人々は絵を動かすためにいろんな工夫と努力をしてきたんだなあと感動する。詳しく知りたい人はぜひ調べて欲しいのだが、生み出された絵を動かすための装置の日本語訳が、とてもかわいい。「驚きの回転」(ソーマトロープ)、「驚き盤」(フェナキスティスコープ)など。

めっちゃ驚いていてかわいいなあと思う、今はアニメは動いて当たり前のものとして溢れているけれど、絵を描いて、まだそれが動くということが頭の中でしか実現できていなかった時代に、実際に目の前で絵が「動いた!」と感じた時、それを目の当たりにした時、どれだけワクワクしただろう。「驚き〜」という呼び方に、その喜びが詰まっている気がする。私もその喜びを辿ってみたいなあと思った。

もう一つ、これまでずっと感じていた「言葉にしてしまうこと」の恐怖を、アニメーションは解決してくれるような気がした。何かを話すたび、整理しようと言葉にするたび、その言葉に自分が規定されていくような息苦しさを感じていた。言葉にできない領域を、無理矢理言葉という枠に押し込めてしまうことで、なかったことにされるものがあるんじゃないかと感じていた。ノンバーバルな表現であるアニメーションは、そういう「こぼれてしまったもの」を少しでも掬って(救って)くれるんじゃないか。

インディーアニメ(Independent animation)と呼ばれる、日本ではあまり馴染みのない分野。心底、面白いなあと思う。まだ、片足も突っ込んでいない状態だが、今年は片足くらいは突っ込めるように、紙に落書きされたあの子をを動かしていきたい。

イラストに始まり、去年は絵本に手を出して、今年はアニメーション。じわりじわりとイラストが動き出している。いろんな媒体をちょっとずつ齧りながらやっていくと、きっと「これを作りたい」と思った時、最良の方法をあてがえるんじゃないかと思う。伝えたいことを、最適な方法で。私なりの創作に対する最大限のリスペクトである。

イラストと違って、アニメーションは、動くこと、音をあてがえることが大きく違う。無音だった世界に、音がやってくるって面白い。絵本はどうだろう。絵が伴うことで、最小限の言葉を、最大限の効果で伝えられるんじゃないか。人によって違うスピードで捲られるページとページの間には、人それぞれ違う「想像」を挟み込む余地ができるんじゃないか。

きっと、やっていくうちにいろんなことがわかる。頭の中でもぞもぞ動き始めている線を解放してあげる、そんな一年にしたい。

おまけ

私と親友のやばちゃんがかつて生み出した下手くそすぎる絵(担当川村)と文字(担当やばちゃん)【左】。あまりのひどさに現実を受け止めきれず、「私たちはこんなもんじゃない!」とか騒ぎながら改めてかいたのが【右】。これをみると「人って成長するんだな…」としみじみする。どんな下手くそでもやってればどうにかなるさ〜とか思わせてくれる愛すべき落書き。
それにしてもマジで下手くそすぎてじわじわくる。目が逝っちゃってるんだよな


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#note書き初め #2024

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