「ナンシー」子供という立場からの脱皮

概要

人付き合いが苦手なナンシーは、他人の関心を集めようと嘘ばかりついていた。ある日、彼女は5歳で行方不明になった娘を探す夫婦をTVで見かける。
その娘の30年後の似顔絵が自分と瓜二つなことに気づき接触を試みる…。息もできないサスペンスフルな展開、思わず漏れる嗚咽――。
だが、そこから予測できる顛末は、全て見事に裏切られる。[もう一つの人生]のその先に、この映画の類まれなる真価と輝きが待ち受けている。

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絶対的な鑑賞者への信頼を感じる映画。
隙間を説明で埋めることなくしっかり状況を映像で見せてそっと手を添えるように鑑賞者を誘ってくれる。
行間を読めない人にとっては何も起こらない平坦な映画に感じるだろうが、普通に行間を読める人にとっては双方向に情感に満ち溢れた素晴らしい作品だと感じるはずです。

わが子を幼少期に幼児失踪という形で失っている初老の夫婦と、己の人生に嫌気がさしてブログに嘘だらけの人生を綴っている30がらみの女が主人公。
パーキンソン病を患っている傲慢で我儘な母親を見捨てることもできずに愛猫を抱きしめながら生きていたザンバラ髪の女性は、脳梗塞で母を亡くしてからとんでもない思い付きを実行に移してしまう。
幼児を探し続けている夫婦のもとに電話をかけて「私はあなたたちの子供からも知れない」という嘘をつく。

直接その夫婦のもとに姿を見せる女の太々しさもさることながら
「絶対に違う」
ということを薄々分かりながらも「そうであってほしい」と願う特に母親の痛々しさまで感じる切ない想いは観ていてもこちらにも痛みが伝わってくるほど。
ただそんな自分の妻に対して「彼女が傷つく姿を観たくない」という夫の存在がいるだけで実は彼女は十分救われている。
そして「そうだったかもしれない」女性に対して見せる深い愛情が、「こんな母親が欲しかった」女性の心にジンワリと広がっていく。

両者の揺れ動く感情の応酬を映像と表情だけで見せきるのは「これぞ映画だ」という感じがしましたね。
特にラスト女性が打ち明けようとした時の母親の台詞
「ずっと辛かったんでしょ?もういいのよ」
というセリフは白眉の名シーン。本当の娘に言っている言葉でもあり、偽って娘のふりをしてる女性に向けた言葉でもあることに気がついた彼女に対するなんと優しい言葉だったことか・・・

自分の親に対して理想像を持っているうちは何歳になってもその人は子供だ。
どんな人にも欠点がありどんな母親でも嫌な部分がある。
自分のついた酷い嘘からでもそれを受け入れさせ気がつかせてくれる、というとんでもなく深い愛情を描いた作品。
こんな形で子供という殻からの脱皮を描いた映画はお目にかかったことが無い。
素晴らしい作品でした。


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