世の中には共感と同情が混ざって存在していた
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この時間が欲しかった…!
今月はずっと忙しかった。
心が整うのはこの文字を書く時間。
(ノートに書いているものをデジタルにしています)
最高の時間。
お昼に、外のこどもたちの声が聞こえる中の瞬間。
今、しあわせ。
この時間をなにかに例えるなら、サウナかな。
整う。感覚。
4月をふりかえってみる。
この4月はとても考える月だった。
頭で考えるとあまり上手くいかないのに
頭で考えてしまうことが多くて、
はやくその感覚を抜け出したかった。
プランを立てることは私に合ってないのに
プランを立てて、みえる化したがる私。
結局未来なんてわかんないし
プランを立てずに目の前にある分岐点を
ガチになって選んだ方が
結果良い道に進んでいることが多いのに。
よく【夢を目標にかえるためにノートに未来の予想を書いた方が叶う】なんていうけれど、
私の場合
それに潰されて固まって動けなくなる。
だから
“未来なんてわかんないから、今日の今を”
の方が向いてる。
なのに不安になると決めたがる。
目標やプランをきめる→かなえる→自信がつく
をやろうとする。
決めると固まってできなくなって、自分を責める。
たとえその出来ないの中になにか生まれていたとしても、そのプランに対しての出来ないを責める。
きっと、形にしたいんだ。みえる化して安心したいんだ。
その安心の仕方はやめて違うところの安心を探せよ、私。
私は私がわからない
わからないから、わかりたくて
私は今日も、私を生きてる
でもそれって時々不安になって
“わかって”とやりたくなる時がある。
自分の存在意義を満たすために
やじるしを外に向けたくもなったりする。
でもそれをすると、
もっともっとわからなくなって、
悲しくなって、沼に落ちていく。
わかってを集めても
結局心が虚しくなるだけだ。
だからもうしないと、
20歳の事件から特に心がけた。
その時のエネルギーで集める言葉は「同情」だったということに気づいた。
共感と同情は、似ているようで全然違かった。
共感→他人の考え、主張、感情を、自分もその通りだと感じること。
(相手と同じ状況に自分が置かれたらどう感じるのか)
同情→他人の気持ち、特に苦悩を、自分のことのように親身になって共に感じること(相手の感情を追体験することなく、その人の痛みや不幸に対して、心配や哀れみ、悲しみを感じたり表現したりする
あぁそうか。
この違いを知って
私は凄く納得した。
世の中には共感と同情が混ざって存在している。
共感は、自分の想いを持っているものではないと集まれない。
そこで集まることのできるエネルギーが、好きだ。
私が「だよね」「わかる」「そのとおり」に苦い思い出があるのもこの違いだった。
私も共感のエネルギーを集めることのできる人間になれるよう
今日もしっかり、自分を生きるよ。
自分に問う→言葉にする
が、できるように。
SNSは特に
同情と共感は混ざって存在しているのが目に見えやすい。
惑わされずに
自分をいきよう
もし、ゆらいだり、不安になったら
そのときは
同情ではなく、道場で。
心と体を鍛えよう。私。
💪( ᐛ )パワー!
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