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2023年8月9日

祖母は長崎生まれである。
今日という日にわざわざそれを書くということはそう、1945年8月9日に長崎に落とされた原子爆弾の被爆者である。
幸運にも本人にはそれほどの被害もなく、その後かけがえのない人生を歩み4年前に旅立っていった。
普段接していてそれと意識するようなことは全くなかったが、原爆手帳(被爆者健康手帳)も持っていたれっきとした被爆者である。
はっきりとは覚えていないが、それを初めて知ったのは恐らく小学校高学年くらいの夏休み。
その夏は確か毎年恒例の祖父母の家への帰省に加えて広島への旅行が予定されていた。
自分からそうしようと思ったのか親に勧められたのかは覚えていないが、その夏休みの宿題の自由研究のテーマに「原爆」を選んだ。
広島の平和記念公園や資料館で学んだことや祖母から聞いた話などをイラストや文章で模造紙にまとめた記憶がある。
前述の「祖母から聞いた話」というのは、そういうテーマだったら祖母に話を聞かせてもらってはどうかという父の提案により組み込まれたもので、その時初めて祖母が被爆者であるということを知ったんだと思う。
暑い夏、蝉の声、扇風機、和室の畳に座りカセットレコーダーの録音ボタンを押し当時の様子をただただ話してもらった。
インタビューのようにこちらから質問する訳でもなく、話しやすくなるような相槌を打つ訳でもなく、ただただ当時を思い出しながら話をしてもらった。
孫の為だと思ってなのか、とても詳細に話してくれた。
普段の和やかな団欒の空気とは違う、張り詰めた恐怖や黙って聞いていることしかできない凄みのようなものを感じたのを覚えている。
孫の為だとは言え、事細かに話すのは辛かっただろうと自分も歳を重ねてから思う。
教科書やテレビの中、資料館の"展示"としての情報はどこか非現実的なものとして見えていたが、そこにリアリティを与えてくれた。
本当にそんなことがあって、この人は"それ"を体験したんだと。
非現実的だと思えるほどのことが現実に起きていたんだと。
直接体験した人から直接話を聞かせてもらえるというのはとても貴重なこと。
現在、語り部として活動をされている方が減ってしまっているらしい。
表立って活動していなくても、リアルタイムで経験した人も同じくだろう。
仕方のないことではあるが、重要な物事にリアリティを添えてくれる人がいなくなってしまう。
体験を語る人がいなくなってしまえばどうなっていくのか。
どんな出来事であっても同じ様にそうやって受け継がれてきたのは分かってはいるが、いざそういう現実と共に生きていると実感すると色々考えてしまう。
歴史上の出来事として大きな枠ではずっと語り継がれていくだろうが、その中の一人一人の異なる体験や想いはどうだろうか。
我々の次の世代はどんなことをどういう風に受け止めていくのだろうか。
そう考えるとあの日録音した祖母の話はもう二度と語られることのないとても貴重なものだったのだと今更ながら気付いた。
ラベルに「おばあちゃんの話」とだけ書かれたあのカセットテープはどこにいってしまったのか。
また探してみようと思う。

いつもありがとうございます。 弦を買ったりおいしいおやつを買ったりします。