第4回スノーボード哲学①

カービングターンの教科書では技術的なものとは別に、上達のための心構えを書いていこうと思います。
ポジショニングの話が続いたので、少し休憩も兼ねて。

僕は哲学的な考え方を大事にしています。
哲学とは何か。
それは物事の本質を捉えるということです。その動きはなんのためにやっているのか、それをやることでどうなるのか、そんな風に自分に問うことです。

幸福度ランキング、ありますね。あれは幸福に対しての何種類もの指標があって、それを「科学的」に数値化していくというものです。
でもその前に、「幸福とは何か」というもっと原理的な問いがありますよね。その「幸福」についての条件設定というか土台がないことには指標を作れませんし科学も始まりません。
逆にいうと哲学の土台設計次第で、幸福度ランキング、その指標と格付けも変わってくるわけです。

幸せってなんでしょうか。
スポーツに打ち込むことって素敵なことですけど、そんなに追い込んで追い込んで本当に楽しいですか、幸せですか、って思うことあります。がんばったからこそ報われた時の喜びが大きいのも分かります。でも僕はちょっと違う気がする。
ずっと楽しく気持ちよくやってこそのスポーツなんじゃないか。結果なんて本質的にはどうでもいいんじゃないか。
なんのためのスポーツか。幸せになるためでしょ。勝つためじゃないですよ。勝ったら、負けた人が必ずいます。負けて勝てなくてスノーボードから離れていく。そんなのもったいないじゃないですか。スノーボードの素晴らしさはそんな所にはないんです。
大切なことは過去の自分に勝つことです。
みんなが楽しくスノーボードに打ち込める。そんな環境を考えていきたいと思います。


あ、哲学の話でしたね。
カービングターンで例えると
その「上下動」はなんのためにやっていますか?
「荷重」のため?「切り替え」のため?
「荷重」のために本当に必要なのか?そもそも「荷重」は必要なのか?
そういう風に考えることです。一つ一つの動きの必要性と意味を考える。結論を言うと、上下動は要りません。JSBAの教科書も要りません。


さらには、腰や足が動いたことで板はちゃんと動いているか、反応しているか。
ターンとは、板が動くことです。
体がいくら動いても板が動かなければ意味がない。
体を動かした分だけ、板も同じ量動かなければ、それは無駄な動きです。
板をつけてイメトレやりますよね。この時に、体を倒した角度と同じだけ板は立っていますか?
体が動いた瞬間に板は反応していますか?

いったいなんのために動いてんだよ?

そう、全ての道はローマに、全てのポジションはターンに、全ての道は哲学に通じるのです。
本質を忘れないでください。

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