たとえ弱者だとしても。

私は運動神経が悪い。
だが、球技に関してはまだ並に出来るほどの実力だった。私の周り皆が入り、流され入ったバスケットボール部。そこで私は大きく変わる。
ただの球つきだと考えていたバスケットボール。
練習を5分もしないうちに分かった。
私には向いていない。無理だ。
早く退部せねば、体が壊れる。
ただボールを1〜2時間ついていただけだった。
運動不足の私には全身を鉛がおおっているかの様に行動に支障を有した。
練習終わり。私はどう辞めるかしか考えていなかった。同じく部活に入っていた仲間たちは笑みを浮かべていた。それは僕には狂気でしか無かった。
月日は早く、やめ時を見失った自分。決してバスケットボールが上手くなるわけではない。周りに取り残され、劣等感が募る。入部して1年3ヵ月。私の変化まで、残り約2週間程のことだった。
その後私が中学2年、3年の先輩との最後のミーティング。彼らは手短に言い残した。悔いのないように。その一言が私を変えた。
私は思考した。そして決意が固まった。
辞めてやろう。
もう疲れてしまった。
せめて私の得意である妄想に浸って、楽しい毎日でも過ごしてやろう。
そう決めた。

はずだった.....

私は辞めるのがどうしても言い辛く、結局決めた事を実践するにまで至らなかった。
なんて惨めな男なんだろう。私は嘆いた。
ふと、先輩の言葉が蘇った。今のこの状況。

後悔しかねぇじゃねぇかぁぁぁぁぁぁ!

私の中で何かが切れる音がした。
私に決して試合で使えるようなスペックはない。
ただ、一つだけ使えそうな武器があった。
シュートである。3pシュートだ。
よくよく考えてみたら、練習では良く入っていた。
だが、試合だと、緊張もしくはパスをもらう事が無かったため、使えないと感じていた。
もうこれしか無いと思った。

そうと決まれば練習である。
だが、上手くはいかなかった。
試行錯誤し、何が足りていないかを考えた。
私は、チームに最低限迷惑はかけまいと、ディフェンスの練習もした。パスも、正確さだけでなく、視野を広げて視る事を意識した。
その後スタメンに選ばれる事となった。
スタメンが1人欠けたからだ。
本気で挑んだ試合。上手くはいかなかった。
人生そう甘くはない。
1クォーターもたずにへばるような男が、使えるはずもなく、スタメンから即外れた。
その頃から、幽霊部員も増え始め、18人いた仲間たちは14人まで減った。
死にものぐるいで練習についていった。
3年最後の夏の大会では、強豪に当たり、結果こそ残せないものの、俗に言うシックスマンとしての立ち位置で、私の部活生活は幕を閉じた。

私は今感謝している。たくさんの仲間、顧問の先生
そして何より自分自身に。
側から聞けばどうでも良い話だと思う。
ただ1つ言える事は、

中学生の僕にしては、
青すぎる青春だった。

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