「同志少女よ、敵を撃て」 感想(ネタバレ有)

「同志少女よ、敵を撃て」を読みました。
印象に残った部分は、砲兵ミハイルが登場するシーン。
軍は男性が大多数を占める。本作で強調されることは、男性による敵国市民女性への強姦という戦争犯罪である。セラフィマがこれに嫌悪感を示していることに気づいたミハイルは彼女に嫌われまいとし強姦はしないと約束する。その一方でミハイルは自軍の強姦現場を目の当たりにしたことがあって、それは男性が自らを正当化する暗黙の了解のもと行われていることも理解している。ミハイルはこれは仕方のないことなのだ、と言う。
性被害者はどう思うのだろうか。ミハイルは自己弁護に終始した。
この二つのシーンのどちらともミハイルの本心の言葉なのだろう。しかしそれはミハイル側の都合でしかないのである。それをミハイルは環境を言い訳にして誤魔化した。
男性側の意見が取り沙汰されている。戦争は女の顔をしていない。そのことが読み取れる大切なシーンだった。

大切なことは人間には尊厳があるということだ。だが、戦争という極限状態でも果たしてそれが言えるだろうか。
明日死ぬかもしれない日々を過ごすのだ。その考えを保てるだろうか。
人には信念がある。ミハイルは戦争の狂気にその信念を知らずのうちに破壊されたのである。
その結果ミハイルは明確にセラフィマの敵となり死亡した。

作中でセラフィマは戦争の中で人を殺すことが悪か悩み続ける。だがそれは戦争という特殊な枠組みの中での任務なのだと作中で理解された。
セラフィマの最後の狙撃は、その枠組みを超えていた。彼女は悩む素振りをこのシーンでは見せなかった。彼を狙撃することで彼女の戦争を終結させたのである。

戦争は女の顔をしていない、これは彼女の視点で描かれることでより明瞭になった。

また他の登場人物の視点では戦争はどう映るだろうか。そのことを考えるとき、戦争の狂気や狂気に侵された人の異質さが際立つ。この本を通して、戦争はあらゆる面で障害をきたしうるものなのだ、といったことを感じた。

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