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〈究極のラブソング〉宇多田ヒカルの 『Play A Love Song』を考察する


『Play A Love Song』

作詞:Hikaru Utada     作曲:Hikaru Utada

傷ついた時僕は
一人静かに内省す
深読みをしてしまう君は
不安と戦う

Hold me tight and don't let go
Why we fight I don't know

他の人がどうなのか
僕は知らないけど
僕の言葉の裏に他意などないよ

長い冬が終わる瞬間
笑顔で迎えたいから
意地張っても寒いだけさ
悲しい話はもうたくさん
好きだって言わせてくれよ
Can we play a love song?

友達の心配や
生い立ちのトラウマは
まだ続く僕たちの歴史の
ほんの注釈

Hold me tight and don't let go
Why we fight I don't know

僕の親がいつからああなのか
知らないけど
(大丈夫、大丈夫)
君と僕はこれからも成長するよ
(大丈夫、大丈夫)

落ち着いてみようよ一旦
どうだってよくはないけど
考え過ぎているかも
悲しい話はもうたくさん
飯食って笑って寝よう
Can we play a love song?

側においでよ
どこにも行かないでよ
Hold me tight and don't let go

もう二度と離さないと
言わんばかりに抱き締めたいよ
疑っていてもいいけど
悲しい話はもうたくさん
嘘だって吐きたくなるよ
Can we play a love song?

長い冬が終わる瞬間
笑顔で迎えたいから
意地張っても寒いだけさ
悲しい話はもうたくさん
好きだって聞かせてくれよ
Can we play a love song?

Hold me like you'll never let me go
Everybody needs some time alone



2018年、サントリーのCMソングにも起用された宇多田ヒカルさんの曲です。


ちなみに僕がこの曲を知ったのはここ最近です。


初めてこの曲の歌詞を一読した時に、平凡でシンプルな応援歌だなと思いました。

しかし、何回か聴いているうちに歌詞に違和感を覚えました。

傷ついた時僕は
一人静かに内省す
深読みをしてしまう君は
不安と戦う

この冒頭の部分です。


一見なんてことはない流れの歌詞に見えますが、引っかかります。

“深読みをしてしまうは不安と戦う”といきなりという二人称に切り替わっているからです。

いやいや、単純に相手に語りかけてるんじゃないの?と思うかもしれないですが、歌詞全体の流れから考えるとここは

”深読みをしてしまうは不安と戦う”

という一人称でないと整合性がとれません。

そして、この歌にはもう一回だけが出てきます。中盤のこの部分です。

僕の親がいつからああなのか
知らないけど
君と僕はこれからも成長するよ

歌詞の流れからこの部分の君と僕の使い方も、とても奇妙です。なぜか君が出てきます。


君と僕は一体どういう関係なのか?




というのは、僕が僕と思っている自我で、というのはその僕が僕だと思っている、自我を見つめている超自我なのです。

これはなんと、君と僕という二人の間でのやり取りではなく、全て一人の中で行われているやりとりなのです。

フロイトの考えた自我の構造


ネットで色々調べてみると、このことを裏付ける宇多田ヒカルさんのインタビュー記事などがいくつか出てきました。

宇多田さんは’10年から’16年4月まで『人間活動』と称して活動休止していたようです。そしてその間の2013年に、母親である藤圭子さんが飛び降り自殺で亡くなっています。

生前の藤さんは長らく精神の病いに苦しんでいたそうで、感情や行動のコントロールが利かなかったこともあり、ヒカルさんは幼少期から悩んでいたそうです。
宇多田さんは母親が通っていたカウセリングのやり方に疑問をもち、読み始めていた心理学の本を契機に、精神分析に多大な興味を持つようになったといいます。

そして宇多田さんは約9年間精神分析家の元に通い続けます。精神分析にも色々な派閥がありますが、短時間セッションであることと、宇多田さん本人が語るセッションの内容から、ラカン派(ジャック・ラカン)の精神分析家のセッションを受けていたのではないかと思われます。

ジャック=マリー=エミール・ラカン🇫🇷
Jacques-Marie-Émile Lacan
1901–1981



精神分析というのは、現代の病院で行われているような、症状をみて診断書を書いて、はいお薬、ということとは全く異なります。そんなことは効率化を求める資本主義社会が作り上げた弊害でしかないと僕は思っています。

精神分析について書いてしまうとキリがないですし、ジャックラカンの精神分析は超ハイパーウルトラ難解なので、興味がある方はこの書籍をおすすめします。ただし入門書でさえ超難解です。あなたの世界観が根底から覆されること間違いなしです。




話を戻しましょう。

宇多田さんはインタビューでこんなことを言っています。

自分が自分との良好な関係を保ったりするのに邪魔してるよね、っていうのを学んできた人生というか。特に精神分析を始めてからの9年で。今でも時々そういう気持ちを強烈に感じると、こんなに根底にあるんだとショックを受けたり、誰とこれを共有したらいいんだろうとか、共有できる人がいるのだろうかと思うときもあるけれど、それこそ自分に言い聞かせてきたことでもあるんだと思います。そうやって景色が豊かになっていく、自分が豊かになっていくと。

『Play A Love Song』はこのような宇多田さんの人生経験から生まれた曲なのではないかと僕は思います。

自分の中にいるいくつもの自我、そしてそれを見つめる超自我と折り合いをつけ、うまくやっていこう! いや、うまくやっていけるはずだ!

という自己に対する応援歌なのです。
(故に誰にでも響く普遍的な歌になっている)

Can we play a love song?

〈僕たちはうまくやっていけるよね?〉


と何回も曲の中で問いかけるのがとても印象的です。


まさに究極のラブソングといえるのではないでしょうか。


最後に、


宇多田さんはこんなことも言っています。

多くの人に 精神分析臨床実践 に興味を持ってもらいたいし、受けてみたいという人が多く出ることを期待しています。


僕も心の底からそう思います。


もっと社会に精神分析というものが広まりますように。

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