台所に立つこと
おいしいはたのしい
noteblogのハッシュタグで目にとまった言葉
この言葉を見た瞬間今書いている想いが溢れてきた。
わたしの家族は6人家族。特別仲が良いわけではないけれど悪いわけでもない。ただ一つ言えることは実家を出るまで夜ご飯をひとりで食べることはほとんどなかった。家族内で喧嘩が起きても部活で遅く帰ってきても深刻な問題が起きても、どんな状況にあったとしてもいつも誰かと食卓を囲みご飯を食べた記憶しかない。特に週末に限っては基本的に6人で食卓を囲んで食べていてその時間が幼い頃から歳を重ねた今でもわたしは好きだ。
そして、その食卓の中心にいて笑いや会話を作っていたのはいつも私だったなぁと今振り返って思う。今でも実家に帰省した時なにがいちばんの楽しみ?と聞かれると家族でご飯を食べることかもしれない。そしてこれに加えて親戚の集まりが多かったし、両親は友達や教え子達(父は相撲のコーチでもあった)を家に招き大勢の人と笑いの渦の中でご飯を食べる機会が多かった。
ありがたい恵まれた環境だったと思う。
特に父は一般的に両親が怒る内容といわれることでは全く怒らず、雄一厳しかったのは食べることだった。
大皿から自分の食べる分だけ小皿に入れるスタイルだった我が家では、食べ残しをすると勿体ないと怒られ弟なんかは玄関の外に出されることもあった。今思うと拷問だわ。笑 ひどすぎる。笑
けどそのおかげで勿体ないって想う心、食べれることそのものが感謝。お魚をきれいに食べること。お米は一粒でも残さずありがたくいただく。食べることは生きること。美味しいは楽しい。
それが、正しいかどうかは人それぞれだし分からないけれど私の大切な食べることに対しての軸みたいになってる気もする。よく考えれば現在母も弟も食に携わっている。
そして、今わたしは台所に立つことが大好き。
お家でいちばん好きな場所は?と聞かれると台所だと迷わず答える。キッチンではなく台所。
わたしにとって台所はパラダイスで、立つことで心身が整う。自分の手を動かしてなにかを生み出すことがいつからか好きだった。
だけど、立派な料理を作りたいわけでもないしシェフを目指しているわけでもない。お店を開きたいわけでもないし特別なメニューを作れるようになりたいわけでもない。
シンプルに
大好きな台所に立ち自分達で育てた野菜やお米を使って自分の手でご飯を作り、それを大切な家族や仲間とひとつの食卓を囲み楽しく食べること。
これがわたしのひとつの夢
もし、子供を授かることが人生で与えられるなら母が私にしてくれたように一緒に台所に立ちおやつを作りたいしフラッと寄ってくれたお客さんには美味しい飲み物と手作りの焼き立てケーキをサラッと出してみたいなぁ。
楽しい夢は無限に広がるね。
(元スタバ店員が作るシナモンロール。笑)
家族のような大切な人達の美味しいって笑ってくれる顔を見続けたいし、わたしも美味しいって笑ってその喜びをいつまでも大切に共有したいな。
だから、大切な友達が遊びに来てくれるってなると海の方へ足を運んだついでに一緒に食べるお魚を張り切って買うし、たくわんを仕込んでみたり。。。笑
クリームシチューのルウを手作りで作ってみたり
かぼちゃのニョッキを作ってみたり
誰かの笑顔が見たいから、わたしは今日も台所に立つのだと思う。そして、まずいちばんに満たしてあげるのは他の誰でもなく自分。自分が幸せじゃないと目の前の人を本当の意味で幸せにも優しくもできない。
有機小豆をゲットしたから、吉本ばななさんの小説を読みながら静かに餡子をグツグツつくったり
自分でいちから作ったパンにバターリンゴをのっける。大好きな朝ごはんにこれを食べるのを楽しみに寝る瞬間は口元が緩むぐらい幸せ(ただの食いしん坊。笑)
ありがたいことにお野菜を沢山いただける環境にいる。
やっぱり今の時期は大根と白菜をいただけることが多いから、とりあえず干して柚子大根にしてみたり
柚子もいただきもの。この町は自分がギフトしてもしても倍以上になって返ってきてくれます。感謝。
なによりも、楽しい!
つくることも、食べることも、わたしの生きる喜び。
この藍染エプロン一枚でも果てしなく喜びに満ちる。
これをつけて台所に立つとそれだけで自分の真ん中があたたかくなるよ。
美味しいはたのしい
今日も食べれること
美味しいって感情をもてること
そして、楽しく生きてることにありがとう。
大切なことを大切にしたい。
今日はどんな美味しいものを食べる?♡
今日も愛と感謝をこめて🤤
ありがとうございます🥰