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想いが心をうごかす


今日もごくろうさま

おはよう🌞


昨日の夜お母さんから電話があった。
じいちゃんが亡くなったと。
6日前ぐらいに、点滴が通らなくなって食べ物がもう食べられなくてお茶を少し飲めるぐらいだって連絡がきた。延命治療はしないと家族で決めていたので、あとはじいちゃんの生命力のみとなった。

じいちゃんは双子だ。
双子の傍らは今年の1月に魂となって肉体から離れた。

私はなにか特別な能力もないし、何かがみえるわけでもない。だけど勘とゆうか感覚的にいろいろと察することが多い。みんなそうなんじゃないかなとも思うのだけど。そして昔から身近な人とのお別れが多く幼い頃から死生観をもって生きてきた。私のモットーとゆうか『いつこの命が終わるかわからないんだから後悔しないように生きる』っていつもある。それは自分のことだけしか考えていないエゴなのかもしれないけれど、常に私は今を生きることに一生懸命だ。

だから、会いたい人には会いに行った。好きだと思えばだいすき!って言った。ありがとうって思えばずっと連絡とってなくてもiPhone開いてメッセージを飛ばすこともあたりまえ。伝えたいのだ。熱すぎるのかもしれない。想いが。

最近の旅は行きたいところではなくて、会いたい人に会いにいくもの。正直行きたい欲が薄れていく人生。会いたい欲が増していく人生。

じいちゃんは今年88歳だった。
それで、米寿のお祝いをしようと家族で言ってたから、感覚的に早めにした方がいい気がしてたまらなかった。だから私は家族にそれを伝え続けてきた。本当は6月にする予定だった。だけど父が癌になり延期になった。じいちゃんの米寿。

父の癌宣告と同時にじいちゃんも急に体調が悪くなった。それでも動揺せず堂々と全てを受けいれて構えてた母を尊敬した。
今年のお盆は実家へ帰った。みんなは父がもう少し体調が良くなってからじいちゃんの米寿祝いをしようと言っていた。だけど私はそれじゃ遅いって言い続けた。時に自分の意見を伝えることに自分でこれでよかったのかな?なんて思うこともある。
だけど、伝え続けさせてくれたおかげで
家族みんなで介護ベッドの上だったけど米寿祝いができた。ちゃんちゃんこを着せてもらうじいちゃんは泣いていた。

何度もありがたいありがたいと口にした。
じいちゃんが心から喜ぶ姿と家族がはじめて本当の意味でひとつのチームになった気がして、やってよかったと思った。今やれてよかったと思った。

そして、先日東京から夜行バスに乗る為に新宿バスタにいるとき母から連絡がある。じいちゃんが入院したと。病室から出て行く母にむかって
じいちゃんは『世話になったな』と声をかけた。
それを私に話す母は電話越しで泣いていた。
私は、帰らないとって咄嗟に思った。
正直今実家へ帰る必要はないのかもとさえおもった。
だって、まだ帰ったって病院には家族でさえ入らせてもらえないのだから。会えるかもわかんない、バスと電車を乗り継いで帰ったところで
じいちゃんに会えるかもわかんない。
だけど、なんだか会える気がした。
そして会えなくてもじいちゃんの側に少しでも近づきたいとおもった。

だから実家へ帰ったのが9月26日
やっぱり病院からは会えないと言われた。
だけど会えるってどこかで信じ続けていた。
ルールはルール。そこは受けいれる。
自分だけの問題ではないのだから、だけど想いは強かった。

そしたら、リハビリをするじいちゃんの姿を遠目で見ることは許可がでた。一目じいちゃんを見れるだけでもよかった。だから病院に行く予定ができた。そしたら、病院に行く日の午後じいちゃんの容態が悪いと電話が入った。

母とばあちゃんと私で病院へ行った。
きっともう最期になるからだと病院の方達が判断したのか病室へ入ることが許された。
その時意識は取り戻し、自分の意志もあって頭もしっかりしていたじいちゃん。
私の顔を見るなり、じいちゃんは泣いた。
それはまるで子供のようだった。
私も泣いた。じいちゃんの肩に手を振れじいちゃんの手を握り『なんで泣くのー!』って笑いかけながら私も泣いた。

そのあと弟と父もじいちゃんの病室に入れた。

このご時世、家族みんながじいちゃんに病室で会えたことが奇跡だと思った。
目を閉じてから会う人達だって沢山いるんだよって聞いたこともある。

わたしのひとつの想いがみんなの心を動かしたのかもしれないって思った。
だけど、わたしの想いを口にした自分もだけど
それを聞き入れてくれたお母さん、家族にも凄く感謝してる。だってさ、人と人だもの。
いくら強い想いがあっても、みんな捉え方も意見も違うんだから。交差することなく並行線で終わることだってあるし、何度もそれは経験してきた。だけど受けいれてくれたこと。どこかでみんなが少しずつ折り合いをつけて、すり合わせをして、みんなが納得できるおとしどころを家族で見つけた。

それが、9月29日のこと。

私は、実家へいることを選択せず一人暮らしのアパートへと戻った。このまま実家にまだいることは、まるでじいちゃんの死を待つかのような気がしたから。待つのではなく今わたしができることは、わたしがわたしの人生を生ききること。
いつだって、そう。
自分の人生を生きることができるのは自分だけ。


そして延命治療はしないと判断したと連絡がきた。
正直9日までじいちゃん生きてくれると思ってなかった。
ありがたいことに沢山詰まっていた仕事の予定やお話し会、ミーティングを全てリスケさせてもらう覚悟だってしていた。

なのに、お話し会もできてミーティングにも出れての昨日だった。

そしてじいちゃん安心してね。
誰よりも結婚式を楽しみにしていてくれたじいちゃん。だけど、結婚式は延期になりそれでも楽しみにしていてくれたじいちゃん。その延期は白紙に戻り離婚して実家へ帰った時も何も言わず聞かずそっとしておいてくれたじいちゃん。
花嫁姿かどうかそれは、これからの私が決めることだし、正直わかんない。
だけどじいちゃんに笑顔で報告できるような
パートナーと共に人生歩んでいくから安心してね。

たったひとりの
たったひとつの想いは
誰かの心を動かす。
だからわたしはやっぱり、想いを大切にしつづける。自分の想いを信じつづけたい。
もっともっと羽ばたいていくよ、じいちゃん。

じいちゃんありがとう。
今頃双子の片割れと再会してるのかな。
じいちゃん、おおきな声で会話してそうだな。

そうだといいな。
じいちゃん笑っててね。
琴音もここで笑ってるよ。

ありがとうございます🥰