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メンタルの安定は「神だのみ」がめっちゃ有効だった話

私は日本にいるときは、正直メンタルが安定していなかったが、アメリカに来て、今はめっちゃめちゃ安定している。正直少し前の状況だと、メンタルいかれてもおかしくない状態だったが、楽勝でクリアできた。このあたりのロジックが最近分かったのでブログでもシェアしようと思った。

たぶんものすごく暗黒な状況

去年の末ぐらいは、本来とてもストレスフルになりそうな状況だった

* 50歳、独身なので、慣れないアメリカで独りコロナで人と物理的に接触しない
* どう考えても同僚より仕事出来てない
* 自分の得意の技術(Kubernetes, Go lang, DevOps, Kafka)がすべて自分の手を離れて他チームの管轄に
* 当時やっていた仕事が2か月間も何一つ成果が出なかった
* そもそも、今のチームでプログラマをやっていること自体が人生最大のチャレンジなのに、アメリカですべて英語でハンディキャップ感半端ない

正直自分はいつ首になってもおかしくないなって思っていた。状況は暗黒だけど、自分は正直ケロリとしていた。多分日本に居た頃の自分だと精神病んでたと思う。

自分が救われたもの

それはズバリ「神」w 私はアメリカに来てからクリスチャンになったのだが、日本ではイメージ悪い「宗教」だけど、少なくともパフォーマンス、メンタルそして、生産性においてめっちゃ貢献している。これには生産性大好きな自分としても目をつぶれない。皆さんに布教したいわけではない。だからどういう仕組みでうまくいったのかを解説したいと思う。アメリカだと、キリスト教なのは、日本で「浄土宗」とか「曹洞宗」だとかいうのと同レベルで、いたって普通のことなで、アメリカの文化にもかなり影響していることを感じる。

ストレスの正体

ストレスの正体って何だろうか?所説あるが、私がそうだなとおもうのは、ストレスは「他の人との関係」において生じると思う。アメリカでは上下関係というものがほぼほぼ存在しないので、「偉い人」という感覚がないし、「先輩」「後輩」、「上司」「部下」といった上下関係が存在しない。これだけでも、相当ストレスは減る感じだろう。なぜかを考えてみると、キリスト教だと、「神」は偉いけど後は「人間」という感じなので、「人間」の中に上も下もない感じ。この感覚が社会にも広まっていると思う。

オレオレな自信家を見かけない理由

アメリカに来るまでは、ハリウッドの映画とか見てると何となくアメリカ人は、「俺マジで凄いし!」みたいな自己主張が強い人が沢山いるのかと思っていたが、実はそういう人は日本の方がずっと多いイメージがある。アメリカ人の人で「自信が無くてめそめそしてる」人もほぼいない感じ。基本的な「自信」はある人が多いけどなんというか、「俺凄い」的な自信ではない感じ。これは何が違うのだろう?

 あくまで自分の観察の結果でしかないのだが、多分これもキリスト教の考え方が影響していると思う。基本的な考えとしては、我々は神に作られたものであるという考えであり、神があらかじめ私たちの人生の「プラン」を既に作っていると考えている。だから、何か凄いことを達成したとしても、それは神のプランであって、自分の力ではない。自分が上手くいかない時も、「自分は神によって作られた存在であり、神のプランによって生きている」ので、それが悪いものであるはずがない。だから、必要以上に自分を卑下する必要はない。何しろ神に作られたんやで!という感覚。

 あと、キリスト教になった人は「神」の Perfect Love のサービスを受けることができて、神といつでも対話できる。これが、Holy Sprit と呼ばれるものだ。


「神だのみ」はむしろ推奨

 じゃあ、ストレスが普通にものすごくかかる状態の時はどんなことを考えているか?というと、そもそも、自分は神の作品なので、そんな悪いものではなく、何かの目的をもって作られている。だけど、同時に「神」ではないので、自分の手に負えないもの、出来ないものは山のようにある。

 そういうときは、「神」と対話をすることが推奨される。自分で何かの迷いがあったときは、自分の体の中に居ている「Holy Sprit」と対話をする。私は普通に大阪弁で会話する。「これ、なんかめっちゃまずい状況やけど、どう思う?」とか聞く。そうすると、「Holy Sprit」が答えてくれる。「大丈夫。この状況は長くは続かない。まずは目の前のこれをしよう」みたいに答えてくれるので、私は神のプランに従って行動するのみなので、なんともストレスがない。そもそも、自分が「凄いモノ」ではないので、気負いもないし、手に負えなかったら「神だのみ」するだけだ。

ストレス耐性がとってもつく

 日本では「神だのみ」というのはほぼ悪い意味だと思うが、こちらでは推奨だ。人間なのだから、出来ないことばっかりなので、神の無限のパワーを借りまくるわけです。神のおかげで自分の力以上の力を使える感覚です。

 私の友人で私をクリスチャンにした人がいるのですが、去年から今年にかけて自分だったらストレスで闇落ちする状況にあった友人がいます。
 家を建ていたのだけど、業者の見積もりが作業が進むにつれてどんどん膨れ上がり、挙句の果てにとんずらされ、なんと自分で「家の建築のPM」をやる羽目になりました。彼は昼と夜、半年以上それぞれ別の仕事をしているかのようだって言っていました。さすがにやつれていました。だけど、4人の子供を同時に育てながら、彼はそれをやり切ったのです。マジ凄いなと思いました。

 彼は、「神にアウトソースできるからマジ楽」と言っていました。つまり、困ったら「神」、迷ったら「神」。神が言うことが悪かろうはずがないので、あとは素直に実行するだけ。だから、「自分が悪い」という発想にとてもなりにくいです。だから、自分を責めることが本当になくなりました。

やばい状況にあっても平常心でいられる

ですので、ものすごく Emergency なことが起こってもストレスがかかる場面でも、私は心の中で「Holy Sprit」とお話をして、どうするか決めるだけです。なぜ、「オレオレ」じゃないのに、「自信」があるか?というと、自分は「神だのみ」で、「神」がついているので、俺は大したことなけいけど、神がなんとかしてくれるやろって感じです。神のプロテクトがあるので、「自分は出来るよ」と言えるわけです。

精神の安定は生産性に影響している

 私は心が弱い方でしたから、昔はよく落ち込んだりよくしていましたが、今はこの仕組みのおかげで、とても安定していて落ち込むことがありません。「落ち込み」は本当にやる気がなくなって生産性を阻害するので、それが無くなったことは本当に素晴らしいことです。

アメリカがチャレンジングな理由

 ですので、私は今は難しい状況で、ちょっと怖いことでも、チャレンジすることの怖さが無くなりました。「まぁ、俺は大したことないけど、神がなんとかしてくれるやろ」と思っているからです。筋トレの時も「あーもうだめだ」と思ってから「ジーザス、私はもう限界なので、力を貸してください」と話すと、そこから1,2回追い込めますw 

 アメリカ人の人は結構むちゃなチャレンジをやる人が多いですが、多分こういう背景があるので、自分に無理そうなものでもジーザスが助けてくれるので大丈夫!というノリでチャレンジしているのかもしれません。

正直いいことしかない

 私は正直首かなと思っていたのですが、なんと、成果が認められて昇進しました。やはり技術職は小さな積み重ねなのでマイナスが無いのは強力です。
 今の仕事は自分にとっての「夢の仕事」ですが、自分が「何回もチャレンジしてうまくいかなかった」仕事で正直才能ないので、まさか、自分が認めてもらえるなんて思いませんでした。

 また、最近日本でデブサミという日本最大級の開発者イベントがあって、依頼されて登壇したらベストスピーカー1位になりました。落ち込むこともなくなって、人生を楽しめるようになってきて、ついでにチャーチにいってると音楽の友達ができてほんまええことばかりです。


まとめ

今回は、自分の精神の安定に貢献している「キリスト教」の影響に関して分析して解説してみました。私にとってそれは「キリスト教」でしたが、皆さんにもそれと同じような何かが見つかるといいですね!


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