漢字廃止で韓国に何が起きたか 拾い読み

書籍からの学び

□ハングルは、1443年に李氏朝鮮王朝の第4代王世宗の発議で作られた純粋な表音文字。ハングルは、大いなる文字あるいは、一つの文字という意味で、もともとは、訓民正音、民に訓える正しい音。朝鮮語の音を正確に書き記すことのできる文字としてつくられた。

□漢字を重んじる知識人などに排斥され、漢字ハングル交じり文が本格的に用いられたのは福沢諭吉の発案により明治19年1886年の漢城周報という新聞でのこと。以後日本統治時代を通して学校制度が敷かれた中で一般の人々の間に広く普及した。

□韓国の漢字廃止は、1948年に大韓民国が成立し、公用文はすべてハングルで書くべしとの法律が制定されたのにはじまる。1970年までは漢字教育は行われたがその後なくなっていった。

□膨大な同音異語から起きる混乱が起き、独自の概念語を作ろうとした計画も挫折した。言文一致の考えが強化されていき、言葉の概念の広がりと深さを失っていった。

□1999年当時の韓国政府が漢字復活を唱え、伝統文化の理解促進、漢字文化圏との交流を狙いとする見解をだした。この時既に、人口の80%が漢字を使わないハングル専用世代となってしまっていたため漢字復活はほとんど声がけだけに終わった。

□世界一優秀な民族が、世界で最も科学的な文字であるハングルを創造したという、ハングル専用論者と漢字復活論者にも根付く自民族優越主義が挙げられる中、どちらも言語伝達の機能的な側面の利便さの議論に終始してしまっており、思考や発想のあり方にまで突っ込んだ議論に至っておらず、漢字廃止が知的荒廃を推し進めた側面も。

つづく。

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