65歳の終活

 昨日はかつてお世話になった先輩に会いに行きました。その先輩は定年を待たずにカイシャを辞め、次の仕事を見つけてそこで活躍していましたが、1年前に退職し、そこでもうリタイアされるのかと思ったら、ほどなくしてまた新たな仕事についたようです。
 今は、資産に余裕があったり自営業や農業をやっている人以外は、65歳まで何らかのかたちで仕事をしていますが、だいたいは先細りで、カイシャが用意した65歳までの仕事を終えたら、そこでおしまいというパターンが多いですが、この人は仕事を変わるたびにステップアップしていま す。
ある意味、組織に取り込まれて次第に外に出て使える力を削がれ、カイシャのお世話になるしかない道を歩む人が多い中で異数であり、まだまだ仕事をバリバリするつもりで、余生なんてことは考えていないのかなと思ったら、「もう前期高齢者の仲間入りだよ。長年住んだ家も売り払い、駅前のエレベーターの付いたマンションに引っ越すことにした。その際、家にあった本はだいたい処分したし、いつ死んでもいいようにいろいろ整理もした。5年、10年はあっという間に過ぎるけど、年を取るごとに、一年の重みは増している、こわいよね。」と話をしていました。
 今は働き盛りにあって、いろいろ忙しくしている自分ですが、多くのことはその場しのぎの対応が多い気がします。自分のスキルを高める時期は過ぎ、そのスキルを活かしてさまざまな課題に対応し、後進にそのスキルを伝承するフェーズに入りつつあります。ただ、課題の多くは短期の解決は困難なため、その場その場で求められる成績の達成に注力しがちです。それは組織人として仕方ない面はありますが、対処療法への資源配分が多くなると、未来への種まきをしていないことになります。
 自分にとっての一年の重みを自覚しつつ、求められる役割は果たしつつ、いかに多くの種まきをできるか、何か、やる気はあったんだけど、結果的に無為に過ごしましたという時間を少しでも減らしていかないと、単なる気持ちでなく実を取る仕組みをつくらないと、言い訳をしているうちに人生の終わりを迎えないよう、今できることを精一杯背伸びして、取り組んでいきたいと思います。

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