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点字ブロック

 僕の娘は電車とバスを乗り継いで学校に通っていますが、帰りのバスが学生の遅れて到着した関係で、学生で非常に混雑しており、駅前のロータリーも夕方の混みあう時間のため、バスも少し停留所からずれた位置に停車したようで、そこは歩道の道路幅が狭くなっており、多くの学生が降りたので、一時的に点字ブロックの上に、学生の集団が滞留したような状態になったそうです。

 その状況において、点字ブロックの上にいた娘ほか数人の学生に、近隣の社会福祉施設の関係者らしき人が注意し、教育がなっていないので明日、学校にこのことを通報すると言われ、娘としては故意にやったわけでないので、心外だったと漏らしていました。

 ただ、こうしたことは、世の中でよくあることのように思います。たとえ批判される側にやむを得ないような事情があっても、事象として批判されるべきことをやってしまっている、人に迷惑をかけてしまった、それはそれで受け止めて、自分の糧としていくしかありません。
 時には、その言動が故意ではないことが、第三者によって明らかにされるケースもあるとは思いますが、だいたいそういう時には、賞味期限が切れており、関係者にとっては後の祭りということになります。もちろん、何か法的な問題で故意か過失かが争点になっているなら別ですが。
 突き詰めれば、過去の自分の悪い種まきが、悪い縁をつてに、悪い結果として返ってきただけであり、今回のことをきっかけに、点字ブロックには気を付けることは、悪い縁を減らすことにはつながりますが、悪い結果を引き起こす縁は、世の中にそれこそ無限にありますので、何が引き金となるかわかりません。
 なので、悪い行いを慎むことが根本的な対応ですが、思うことも含めてコントロールすることは難しいです。
 結局、点字ブロックについて、なぜそうした批判を受けたのか、その人たちの主張の論拠を理解し、そこから障害者政策について学びを深める、そうした広がりをもった学びをすることで、より予防的に悪い縁を減らしていきつつ、様々な立場や価値観を持つ他者を理解するきっかけとする、そうしたところが、今回のことを生かす道でしょうか。

 

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