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戦況の厳しい戦いにおける肯定的解釈思考

 戦いに臨むにあたっては、冷静な情勢分析を行い、彼我の実力差を推し量り、自軍サイドの生産力や技術力を踏まえ、開戦の可否を判断することで、勝ち目のない戦いに突入することは、極力避けたいところですが、大きな歴史的潮流の中で、抗い難い状況に追い込まれることはあり、楽観的な要素をつなぎ合わせて当初の方針の裏付けを無理やり補強し、やむを得ず開戦に踏み切らざるを得ないという場合はあると思います。
 これが国家レベルであれば、多くの人命が失われ、経済や社会を維持するシステムが壊滅的打撃を被り、生き残った人たちも心に傷を負い、財を失う結果になるため、過去の歴史を学んだうえで、回避する努力を最後まで続けるべきだと思います。
 一方で、この「戦い」が個人レベルであれば、この先の人生で後悔することのないように、自分を納得させるため、あえて無謀とも思える「挑戦」をすることは、悪いことではないと思います。受験や難関資格への挑戦は、その典型ですね。
 とはいえ、そうした挑戦も、時限的なものである場合、終盤戦になってくると、戦況が次第に不利に推移してきている場合は、逆転勝利の可能性は限りなく低いという現実に向き合わざるを得ないという場面はあると思います。
 もちろん、戦いを断念しないのであれば、勝算を少しでも高めるために、限られたリソースを効率的に配分する工夫が求められます。
 それと同時に、この戦いの経験を、その先に生かすことも、考えていく必要はあります。限られた認知をそれなりに集中投入するわけですから、ただ勝つための戦いであれば、勝ち目がないと感じた時点で、どうしても気持ちが入らなくなりますので、どこかで、自分の努力に対する意味づけをする必要が出てきます。
 先の戦争では、国家レベルでは、最後までそうした意味づけをするわけにはいかないため、信じてもいない精神論で最後まで進むしかありませんでしたが、一方で、自身の死と向き合った戦場の人たちは、勝ち目のない戦いで自分の命を使うことの意味を、真剣に見出そうとしていたことが、戦後に様々な形で伝わってきます。
 個人レベルでも、公式に勝ち目がないと認めることは、戦いの継続の意義が失われるため、難しいわけですが、かといって建前論だけではモチベーションが維持できません。
 人生がその挑戦で終わるわけではないので、その後につながる戦いをする、それは戦い方を学ぶことや、劣勢の中で少しでも巻き返すための算段であったり、自分の中のリソースを繋ぎ合わせて、より大きな力にしていく作業であったり、人生における次の挑戦のタイミングで、より高いところ目指すためのバネとするといったことでしょう。
 戦いへの肯定的解釈を持ちつつ、最後まで戦い抜くこと、これは常勝ではない多くの人にとって、不可欠な要素だと思います。
 
 

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