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人に良い影響を与える存在になる

 今日は休みと休みの谷間の日であり、ここまで走ってきた中では、おそらく唯一といっていいぐらい、少し気をゆるめても過ごせそうな日です。朝晩と日中の気温差も小さいようで、週末の寒さを考えると、今日のうちにできることをやっておいた方が良いかもしれません。

 仏教用語で「有無同然」という言葉があります。持てる者も持たざる者も同じく苦しむ、といったような意味ではなかったかと思います。
 家を持つにせよ、借りるにせよ、持てばローンの支払いは自分の行動を制約しますし、近隣の人間関係や住環境で外れると、苦しみの鎖になってしまいます。借りることは将来的な住まいの不安もあり、特にファミリー世帯は物件が少なく、選択肢が限られることが多いです。
 仮に持ち家で満足する住環境に恵まれても、子どもたちが巣立ち、自分が高齢になると、広い間取りに持て余し、交通利便性の悪さとか近隣スーパーの撤退で、日常生活のための買い物さえ満足に行けなくなります。
 子どもが育つ過程で親は学ぶことも多く、多くの無形の喜びを与えられますが、不登校とか、さまざまな障害を抱えていることで、親としても普段の生活がいわば振り回される状況に陥り、子どもがあかりでなく、常に自分の人生に影を差す存在になったりもします。
 子どもができることで自分の親との関係がかえって気まずくなるということもあります。子どもはいつまでも手元に置きたいと思いながらも、人並みに結婚をという価値観は根強く、その二つの思いを揺れ動き、どちらにせよ、親子の軋轢の要因になることもあります。
 仕事や趣味、自分の特技やスキルは、おおむね自分の人生を豊かにするうえで、あった方が良いですが、紐付けが強すぎると、別な世界を見たくても動きが取れなくなり、自分の人生を支える柱となっていき、こうしたものが失われた時や、時代の変化で価値がなくなったときに、一本足で立っているのと同様に、人生が大きく揺らいでしまいます。
 
 とはいえ、人生で妻子財宝地位名誉といったところは、求めずにおれないのが人間です。そこを求めなければ、時間に押し流される自分を凝視することになり、その先には死が待っているだけです。
 生命維持をしながら死を待つだけの生活というのは、自分の存在価値さえ否定しかねません。でも、生きた中で手に入れたものは、ゲーム中で手に入れたアイテムやスキルと同じで、ゲームが終わるときにすべて失われることになります。
 死がすべての人にとって未知のため、その通過の先に別な形で存在するのかもしれませんが、外形的には持ち出せているとは思えませんし、次の世界なるところで役立つとも思えません。自分の子孫に財団をつくって遺すというのは、一種の精神安定剤のようなものです。

 こうやって突き詰めると、現在の人生を意味あるものとすることは、容易ではないと感じます。悩みながら、生きていくしかないのでしょうし、そこにすべてのことを肯定的に解釈できる文脈を持つことも重要でしょう。
 現時点で、あらゆるものが変化する中、人生において自分の生きてきた証として残りそうなのは、人に対して良い影響を与えるふるまいや言動に心がける、それにより人の心に力を与え、その人の力がさらに別な人に伝播する、プラスのスパイラルの心のつながりをつくる、そんなところでしょうか。
 それさえも、自己満足の領域なのかもしれませんが、何の指針もないまま人生を死に向かって航海を続けることはメンタル的に持ちませんからね。

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