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鉄道で関心領域の外側の世界に触れる

 今日は書くことが次々と思い浮かび、どれにしようかと悩みましたが、夜になってしまったことから、その中から、うたかたのように消えてしまいそうなネタを書きます。

 昨日は母のところにフォローに出かけ、仕事に戻る途中、駅のホームで電車を待っていた時、今度入ってくる列車が、自分が行きたい駅に向かうのかについて、そばにいた男性に問われました。

 その男性は高齢のようでしたが、手元にスマホを持っており、今はスマホで調べれば、それぐらい、わかるような気もしますが、スマホの経路検索は、途中の乗り換え時間がある場合は、後続の列車を案内することもあり、おそらく、その男性も検索した結果、今度来る列車の時刻ではなかったことから、僕に聞いてきたようです。

 僕の方でも調べたところ、今度の列車でも、次の列車でも、男性が目的とする駅に行くには、途中駅で乗り換えが必要であるため、検索結果は待ち合わせの時間の短い、次の列車を案内したようです。

 ただ、ここにも、機械的な検索の落とし穴があり、確かに、途中駅で乗り換えは必要なのですが、検索結果にあるような、分岐駅での乗り換えをすると、ホームで待つ必要があるところ、その手前の駅で乗り換えることで、始発の列車に乗ることができるので、乗り換え時間が多少あっても、車内で座って待つことができます。

 そのため、男性には、今度の電車に一緒に乗車することを勧め、目的の駅に向かう列車の始発駅に着いたら、別なホームに停車している列車を指さして、あの電車に乗れば行けますよと案内しました。

 ある意味、僕にとっても、その人にとっても、その後の人生に影響を与えるような出来事ではありませんが、少なくともその男性を案内している間は、一期一会の男性と僕は、一定の信頼関係ができており、別れた後も、お互いに悪い気がしません。

 これが、鉄道という、見ず知らずの人とそで触れ合う乗り物の、良さではないかと思います。

 最近は車内で怖い事件も起きたりしますので、リスクもなくはないのですが、こうした、そこはかとないコミュニケーションだけでなく、自分の関心領域の外の世界との接点でもあり、そこで得た情報量は、馬鹿にならないように思います。
 
 ネットの大海は、そうした未知の機縁であふれているわけですが、僕らは決め打ちでそうした未知の機縁を捉え、自分の世界に取り込んでいくのは、それこそ手がかりがなく、途方に暮れてしまい、結局、狭い自分にとっての既知の世界の中でしか、物事を選択しない、日常生活においては、そうしたことが多いのではないでしょうか。

 ほぼ毎日、鉄道を利用する僕としては、スマホで世界を閉じるのではなく、なるべく関心を外に向けて、自分の外の世界を取り込み、機会があれば、他者にとての良い縁となるように振る舞う、そうしたことを意識して、毎日をめくっていきたい、男性と別れて後、心の付箋に書き留め、記憶の引き出しの中に貼っておきました。

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