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マイノリティなればこそわかること

 昨日、栃木県を東北地方に区分して、さりげなく物語を進めていることの違和感について書きましたが、この部分について娘に読ませたところ、確かに読み返すと、このくだりが誤りであることは理解できるものの、小説の筋を追っていくうえでは読み流してしまうのではないかとの感想でした。
 このへんの感覚は、僕自身が東北に父方のルーツを持っていることが大きいと思います。
 「白河以北一山百文」という言葉は小さいころから知っており、仙台育英高校が甲子園で優勝したときに「仙台育英による悲願の『白河の関越え』」の文字が新聞の紙面に踊ったことに深い感慨を覚えたものですが、こうした感覚は、日本人全体でみると、マイノリティに属するのかもしれません。

 先日、トランスジェンダーの入門書を読んでいて、ある人が、身体的特徴から出生時に区分けされた性から、別な性に変わるというのは、その人に家族がおり、地域で暮らし、仕事をしたり学校に通ったりしている場合、そうした自分を取り巻く関係性というオセロの石の色が、現状では白一色であるところ、一つ一つ、黒に変えていく作業であるというようなことが書かれていました。
 僕の場合も、あるタイミングで相方の姓に変更し、旧姓使用を継続したので、その時に、オセロの石の色を変えていった経験がありますので、何となく書かれていることは共感できました。
 もちろん、性別を変えることの大変さに比べようもありませんが、それでも、石の色を変えることの心理的ハードルは、相当なものがありました。
 社会生活を送る上で支障ないところまで石の色を変えた今は、信頼関係がある人には伝えますが、仕事上の付き合いだけの人には、伝える必要もないので伝えません。女性の場合、結婚していて姓が変わらないと、旧姓使用なのだろうとは思うでしょうが、男は面の後ろに何かあるとはまず思われない、このへんも、マイノリティでなければ理解できない気持ちだと思います。 
 
 自分の中にあるマイノリティの要素が、直ちに何かの価値を生み出すことはないと思いますが、それでも、自分の価値提供を磨いていく中で、人に何かを伝えるときや、相手の気持ちに寄り添う場面では、その遍歴を含めた経験を語れることは、他の人にはない強みとすることができます。
 リスキリングとか人生百年とかいうワードで中高年が追い立てられて、今さら流行りを追いかけても、レッドオーシャンで気力体力勝負となり、敗北することは必至です。こうしたマイノリティの価値も含めて、慎重に自分の強みを見極め、処を得る、そうした思いで、今日も学び研鑽する一日としたいと思います。

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