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北京から成田行きノースウエスト航空便乗り遅れ挽回の顛末

 今日は朝から引っ越しで、ちょうど運び終わりました。長く住んだところは愛着があるにせよ、新しい住まいは前よりずっと広い。家賃は高くなりましたが、子供たちにとっては大事な時期なので、家族の新たな思い出をつくっていきたいと思います。

 今回は僕自身がいろいろあり、ほぼ引っ越しの梱包は妻に任せきりでしたので、感謝です。

 さて今日は趣向を変えて、僕が若い頃、中国大陸をはじめて旅をしたときの話をします。

 当時、ネットでの旅の手配は、国内はともかく海外、特に中国はまだまだ発達?しておらず、北京行の航空券はエイチ・アイ・エスで購入し、ホテルは現地で飛び込みで、北京に夜に着いて北京駅なり西駅なりから、各地に向かう夜行列車のチケットを窓口で買い求めるという、今思うとなかなかスリリングな旅程を組んでいました。

 河南省の済南で黄河をみて、翌日は万里の長城に白タクで向かい、最終日は北京市内のホテルに泊まり、朝の成田行きで帰る予定でしたが、朝の北京市内からの空港バス乗り場がわからず、ようやく空港の搭乗窓口に着いたのが出発の20分前、今よりセキュリティチェックが厳重ではないとはいえ、国際線に20分前は無茶で、案の定、too lateと言われてしまいました。

 最安の航空券のため、便の変更などできるはずもなく、このままでは紙切れになります。片道のチケットをまともに買うと、幾らになるか見当もつきません。だいいち、お金も2万円しかないし、クレカもない、絶体絶命です。

 火事場の馬鹿力で、ノースウエストの北京事務所に乗り込み、身振り手振りで英語で屁理屈をこね回していると、責任者らしき人が出てきて、搭乗日時の変更シールを貼ってくれて、「2日後の朝7時に来い」と言われました。

 予定外の暇な一日は、空港近くのホテルに泊まり、日中は北京市内の書店を見て回ったりして、2日遅れて帰国することができました。

 今は米系航空会社の事務所なんかもないでしょうし、あっても警備が厳重で気軽に突入できないでしょうから、今考えると、貴重な経験だったと思います。

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