人生の土壌改良

 僕は過去の黒歴史とか、プライベートの軋轢はとりあえずすぐに解決するのは難しい問題として一旦棚上げし、今の組織でフロントランナーとしての役割を担っていました。それが、3年ほど前に走り続けてきた自分が立ち止まって、静かに人生を振り返る契機をいただき、その後、社会全体のライフスタイルが大きく変化する中で、旧知の先輩との再会を経て、自分のこれまでの人生の意味付けの作業の大切さを教えられ、さまざまなアクシデントがあっても、自分の人生から目を背けず、足もとの出来事には意味を与えて、この先の未来に良い種まきをすることを心掛けてきました。
 ただ、より深い部分で、自分の人生を複雑化させてしまったことへの、当時の自分の選択が正しかったのかという不安があり、この不安の塊が地中に眠っている限り、時折、そこからの瘴気に、心がつぶされそうになります。特に薬の切れた朝方といったタイミングで、オセロで白い石が一気に黒い石に反転するように、これまでの自分の人生を全否定しかねない勢いで、強襲してきます。もちろん、こうしたことは何度も経験しているので、起きて現実を感じられる行動に出ることで一応は乗り越えられることはわかっています。ただ、現実において瘴気が感じられることが起きているから、そうした夢をみるわけで、まずはその瘴気払いをする必要があります。まじないというのは現実に問題を解決することはないのですが、何となくその場はおさまる、ただ払っただけなので、いずれ瘴気は立ち上ります。
 最近になって、人生の棚卸し、自分の人生の意味付けというのは、今の自分をどうこうするというよりも、自分の立つ、過去の蓄積の地面を掘り起こし、土壌改良することなのかなと思うようになりました。土は過去の自分の人生の集大成ですから、どこかに持っていくことはできませんが、土中には過去の不安、後悔といったネガティブ感情の塊が混じっていて、それが周辺を汚染しているため、意味付けという良質な肥料により、土壌を改良していく必要があります。そして、負の塊も目を背けるのではなく、そこに肯定できる物語を与えることで、土壌に混ぜてしまい、残った芯のような負の塊は、一緒にどうぞという感じて共存していく。人生の土壌改良には、過去の自分の細かな、それこそ日単位の振り返りが重要になります。残された人生がどれぐらいあるかはわかりませんが、過去の自分を一日単位で振り返り、文字に起こして肯定の物語としてつないでいけば、20年は書き続けることができるでしょう。

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