見出し画像

甘美な自己満足に喝を入れる

 今朝は薬が効きすぎているぐらいの状況で、頭がボーッとしています。

 ここ数日、自分のキャパを超えた状況になり、それまでは持てるリソースを何とかやりくりして物事を「回して」いたものの、通常のモードでは、やりくりが追いつかなくなり、無理にギアを上げて走り続けたところ、暴走したような制御不能の状態になり、昨日の朝になって突然「落ちて」しまい、今度は何もする気力がなくなってしまった感じです。
 昨日はそういうわけで、急きょメンタルの主治医の受診を受けて、現在の状況をいろいろ話したわけですが、主治医からは

・現状では頭の中に、自分のやるべきこと、本来は他人がやるべきことで手を出す必要がないものの、区別が整理できていない状態にある。
・すべてを抱え込む傾向が前からあって、それで4年前もダウンしてしまったわけで、そこが変わっていない。そこを変えないと、中長期的に同じようなことを繰り返してしまう。
・話を聞いていても、それを貴方の立場ですべてやる必要があるとは思えない。担当とか、他にやるべき部門があるわけで、そこに手を突っ込むことで無用に忙しくなっているように思える。
・短時間で冷静になるような、マインドフルネスのトレーニングも必要。
・薬は出すけど、自分の今抱えているものを手放さないと、状況は大きく変わることはない。
・全体が見えているように思っているかもしれないが、結局見えていないということ。だから人のやることを自分で抱えようとする。

というようなことをビシッと言われました。
当然ながら、組織の長として部門のミッションに責任を持たざるを得ない立場でもあるので、本当にすべて他人に任せてしまうことが自分の負担軽減につながるのかは疑問で、むしろ早期介入してきたことで全体的な業務量を減らしてきた面もあるわけですが、主治医の意見はもっともで、そこには、組織として本来やるべき必要のないことが多分に含まれており、そこを無批判で受入れ、自分が背負わなければという気持ちになっているのは確かです。 
 そこには大変さというより、甘美な自己満足の匂いがあり、これできるの自分しかいないよな、という思い上がりにもつながっています。
 ただそれは、第三者から見ると、ごく一部の人の間でしか通用しないような、実にくだらないことに熱を入れているのではないか、自分の人生のリソースの最適配分という視点からどうなのか、こういう問題提起を、主治医からされたように思いますし、これを言ってくれる人はなかなかいないので、やはり行ってよかったと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?