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団地団地うるせえなぁ、、不幸自慢してんじゃねえよ

HIPHOPが好きだ

中学生の頃に友人から洋楽のCDを借りてHIPHOPにハマったけど、当時はまだ国内シーンは一切チェックしていなかった

英語の発音が小気味よく耳に刺さってくる感覚が好きだった
何を言っているかは分からなかったけどリズムとして音楽を聴いている感覚でずっと脳内で耳コピして口ずさむみたいな習慣ができた

後発的に日本語ヒップホップにもハマった

フリースタイルバトルが今ほど世の中に認識されていない時に友達がバトルのDVD等を買っていて、それを見て「おお!HIPHOP日本語も良いじゃん!」となった

自分と同じ日本人が己を鼓舞して、自分たちのスタイルやアティチュードを誇り高くラップする姿に憧れた

どちらかというと謙虚で控えめな人が多い日本人が、セルフボーストしている姿に勇気を貰った
自暴自棄で破滅的な不良の色気と、力強く芯のある労働者の良い所どりの様な ヒップホップには男の子が求めてるモノが詰まっていた

しかし、最近の国内のヒップホップシーンは、自分が求めていたものとは変わってきてしまった

「昔が良かった」
とは言わない けど「暗くなったなぁ、、」と思う
世の中が病んでいる事がフィードバックされている気もする

貧乏自慢や不幸自慢が蔓延し、音楽性よりも個人の悲惨さが強調される事にがっかりしてきた


リアルな事をラップする事はHIPHOPが持つ一つの側面として重要だけど、そればかりだと自分には愚痴に聞こえてくる

人を勇気づけ、希望を与えてくれる音楽が好きだ
でも今の一部のヒップホップはただの愚痴や不満のはけ口に過ぎないように思えた

最近「その不幸は俺の地元にゴロゴロ転がってるよ、、」と思って途中で聞くのをやめてしまう曲も多い

ヤンキーの不幸自慢なんか中学生の時にしつくしたし、聞き飽きた
毎日文句ばっかり言ってたから気持ちが分からない訳ではないけど
それは中学生 しかも1年生とかの話 ほぼランドセル状態

友達も両親二人とも揃ってて、経済的にも潤っていて、兄弟も仲良くて そんな人の方が少なかったので苦境ばかりをひたすらラップされても「地元の話」「不幸タイプビート」にしか聞こえなくなって来た

本当に力のある楽曲は「不幸自慢」じゃなくて「這い上がるしかない」というメッセージを感じて力を貰う事が出来る

自分も逆境の時はしっかりHIPHOPを聞いて「やるしかない」と自分を奮い立たせた

良くnoteに書いていた、ある日突然他人の税金と借金を被った暗黒期なんて毎日ヒップホップ聞いて「とりあえず稼がないと、、!」と気持ちを振り切る方向に必死だった

そういう時だけ聞く訳じゃないけど 自分の苦境とクラシックがリンクすると普段聞いているクラシックが化ける

「自分の為に用意されたアンセム」の様に聞こえる瞬間が訪れる

無事に経済難を乗り切って、借金タレと関係を断ち切って落ち着いた今、当時聞いていた自分向けのプレイリストを聞くけど今は「苦しい時期を一緒に乗り切った大事なクラシック」として自分の胸に響く
あの頃この曲が存在してくれて本当によかった そんな気持ち

そんな曲ばっかりだったら良いんだけど

逆境をバネに立ち向かって吠え続けてるエミネムやNFには勇気を貰うけど

ただ、ひたすら暗い曲は聞いていてうんざりしてくる

同じ国の人なら 言語が通じる分なおさら
自分だってかなり困窮した状態を経験したので、落ち込んだり暗くなったり、絶望する気持ちは分かるんだけど そこからどうやって上がってくかが重要だと思う

最近の国内HIPHOPシーンの歌詞には、金銭的な不足や社会的な不公正、人間関係の複雑さが描かれている
その苦しみや挫折を赤裸々に歌い上げ、聴衆にその共感を求めているスタイルは一つの伝統的な形なのかもしれない

でもその一方で、彼らの音楽は希望や解決策を提供することは少なくないだろうか 投げやりで破滅的に感じる時もある
力強く立ち向かう事を放棄して、変わらない環境を変えようとしている様に見える HIPHOPが変えるのは環境じゃなくて自分だ

そうなると単なる不満のはけ口に過ぎない様に聞こえてくる

mixi日記とかTwitterの鍵垢見てる気持ちになる
ダサいツレと居酒屋でずっと傷の舐めあいでもやってろ と思う

音楽はただの愚痴や不満を吐き出す場ではなく、より大きなメッセージを伝える手段であって欲しい

と思いながら、昨日自分の音源を完成させたので来月リリースする

既に存在しているモノに文句ばっかり言ってても
自分でも提示していかないと
文句言う資格も無い

1ヶ月ずっと1曲のビートとリリックに費やしてしまった
ここからペース上げてく

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