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高谷史郎(ダムタイプ)インタビュー(「ACT」2012年収録)

 ダムタイプ(Dumb type)の中心メンバーである高谷史郎は現代美術作家として映像、インスタレーション、パフォーマンスと分野を超えた多彩な活動を国内外で展開している。ダムタイプをはじめ、近年は瀬戸内国際芸術祭などアートフェスティバルにも参加し壮大なる野外上演を手掛ける維新派など、関西では演劇・ダンス・美術といった既存の芸術分野を横断していくようなジャンルクロスオーバーな活動を手掛ける集団が多く、そうした精神はより若い世代にも受け継がれつつある。ダムタイプは集団としての活動はとだえて久しいが今年(2012年)も「京都国際舞台芸術祭(KYOTO EXPERIMENT)」には池田亮司高嶺格の現・元メンバーが顔をそろえた。高谷自身も今年はびわ湖ホールの「CHROMA」、新国立劇場の「明るい部屋」(2008年初演)と新作・旧作の2つの舞台作品を相次ぎ上演、健在ぶりを示した。今回は「アートとパフォーマンス ボーダーを超えて」を主題に高谷にインタビューを試みた。
——高谷さんにとってアートと舞台芸術(パフォーミングアート)との違いをお聞きしたいのですが。

 高谷史郎 アートと舞台芸術の違いを自分で意識したことはないですね。アートもアート業界的な話になると僕はもうそこには全然入っていけないし、演劇も演劇業界というとおかしいですが、演劇の人たちが語っている演劇の話になると僕はきっとそこにいてなにか話そうというような話を持ってないんです。僕が何をしているかというと結局、例えばパフォーマンスにせよインスタレーションにせよ、きれいな空間であるとか、気持ちよくなる空間(それは悲しくなるでもなんでもいいんですよ)であるとかを、その必要な空間の状況を作り出すのにはどういう方法があってどういう風にやればできるんだろうということをずっとやっているような気がします。
 例えばパフォーマンスを作る時でも、こういうパフォーマーがこういうことをするなら、どういう空間が必要なのか。その空間を作るためにはなにが何が必要なのか、何がいらないのかを考えます。「CHROMA」の場合にはほとんど何もなしでスクリーンと床だけがあったという風にして、映像でそれを補っていくということでどこまでできるんだろうということでやっていました。
 実際には映像とスクリーンだけじゃなくて、家具とかいろんなものがでてましたけど。ただ、そういう空間デザインというか、空間をどういう風に構成していくかということについては、僕の中ではインスタレーションを作ることと、パフォーマンスとでの違いはありません。
 それでは(インスタレーションとパフォーマンスで)何が違うのかというとやはり時間ですね。パフォーマンスを作る時には時間を構成する力がないとできないと思うので、そこは音楽の人とパフォーマーにすごく頼っています。いわゆる時間のない空間的なデザインというのは「こうやろう、ああやろう」とパッと思いつくインスピレーションが湧きやすいのですが、時間に関しては私にはそういうのがすごく難しい。だから、音楽と身体表現しているダンサーであるとか、パフォーマーから出てくるアイデアを取り込んで実際にそれを舞台上で見てみながら調整していくことが多いです。
——最近の作品でいうと「CHROMA」は主題はすごく大きいというか抽象性が高いものと思われたんですが、あれはどういうところから出てきたのでしょうか。

 高谷 「CHROMA」はすごく複雑というか簡単に説明しにくいんですが、まず最初は「CHROMA」というタイトルではなく、とにかくパフォーマンス作品を作ろうというのがあり、どういうことをやりたいのかというのでいろんなアイデアを持ち寄り、1月の時点で、まだタイトルもないままいろんなアイデアが出てきていたんです。それでその時点ではサイモン・フィッシャー・ターナー*1に音楽を頼もうということになっていて、ダンサーももちろん、ほかの出演メンバーも決まってはいたんですが、とにかく何をやりたいかということを実験してそこから何ができるかということとか、どういう風にしたいかということをその中で考えていました。そこからもずっと悩んで「とにかくタイトルを決めないと次に進まないな」ということになっていった。その間ずっと(参加メンバーと)話していたのが音の性質(振動数であるとかいろんな科学的な性質)と感情的な性質、それと色との関係が面白いねという話になって、そういうのを関係付けてパフォーマンスが作れないかという話になった時に「CHROMA」*2というタイトルが出てきたんです。
 さらに作曲家のサイモン・フィッシャー・ターナーも加わり制作を進めていくなかで抽象的に印象だけを並べていくような「パフォーマンスではなくて、やはりなにかひとつの流れみたいなものを作ろうというところから、じゃあやはり「CHROMA」というタイトルで(サイモン・フィッシャー・ターナーの盟友だった)デレク・ジャーマンがかかわっていること(デレク・ジャーマンが最後に書いたエッセイのタイトルが「CHROMA」)から、彼の「死」から遡って「CHROMA」という本のほかいろんな彼の著作物からのテキストや彼が影響を受けた偉大なアーティストや科学者の言葉を引用しつつ、人生を遡るようなひとつの伏線を作れないか。それに僕たちがいままで考えていた音と光の関係であるとか、色との関係であるとかを組み込みながら全体の流れが作れないか(ともう2〜3本ありましたが)、3本ぐらいのラインを1つにまとめて、パフォーマンスにしました。
 だから、普通だったらその3本のラインがまず引かれて、ここには何が入るというように穴埋めしていって作るのだろうけど、「CHROMA」の場合は全然そうではなくてその穴埋めみたいなものが先にあってそれをどうやってつなぐかというのを後から引かれたものと一緒に合成されているような作り方でした。

——「明るい部屋」の方はまったく違う作り方だったのでしょうか?

 高谷「明るい部屋」もそんなには変わらないのですが作曲家が参加していないところが大きく違いました。南琢也君(softpad)が作曲してくれているんですが、彼の場合はどちらかというと音のコーディネーターというかデザイナーに近い。こういう人のこの曲、こういう人のこの曲をどうやってつないでいくかというのをやってもらったという感じなんですけど、オリジナルの曲が少なくて、つなぎの部分で使われている曲が彼がつなぐために作ってくれた音という感じで入ってくる作品なんです。そこがもっとも大きく違うところです。 
 それと「明るい部屋」の場合には空間のルールの方が大きいので、スタンドがこう出てきて、それがグリッドになって、直線になってという空間のルールができたところで、さて何ができるのかというのをどんどんはめ込んでいった。

——「CHROMA」のデレク・ジャーマンと「明るい部屋」のロラン・バルトは作品に対する関係性はかなり違うわけですね。

 高谷 全然違いますね。バルトの「明るい部屋」はけっこうみんなで読んで、内容から想像した印象のものをどんどん放り込んでいくという感じだった。「CHROMA」の方は内容とは別にデレク・ジャーマンの人生っていうラインができたりだとかがありましたが、そういうのは「明るい部屋」にはないです。そういう意味では全然違いますね。「CHROMA」はデレク・ジャーマンという人がかかわっているけれど、「明るい部屋」の場合はロラン・バルトという人を扱っているわけではなく、あの本ですよね。本の中に彼がすごく母親のことが好きでということが入っているから、もちろんそういう印象というのは出てはきますけれど、ロラン・バルトの人生を遡ったりしたわけではない。

——ダムタイプが「Voyage」で活動を一段落させた後、しばらくはパフォーマンス的な作品を手掛けていなかったわけですが、今回「CHROMA」「明るい部屋」を連続して上演することになったわけですが。

 「明るい部屋」は2008年にドイツのシアター・デル・ヴェルト(世界演劇祭)というフェスティバルとの共同制作でつくりました。欧州ではアビニョンエジンバラと並ぶドイツの大きなフェスティバルで(例えば今年はベルリンならベルリン、ハンブルグならハンブルグというように)毎年どこかの都市を決めてフェスティバルのスタッフが集結して、その町中の劇場とかを使って世界中からいろいろな作家を呼んでくる。エジンバラアビニョンとの大きな違いはドイツ中のいろんな町で回り持ちで開催することで僕たちがつくったのはハレという町でだったのですが、ベルリンから車で40分ぐらいのところにある旧東ドイツの小さな町でした。
 「明るい部屋」初演の2008年時点では「Voyage」のツアーはまだ続いていましたから、それほど活動が切れているという印象はありませんでした。ただ、美術作品は美術館に行ったら無料あるいは安い料金で見られるというのがあるのだけれど、パフォーマンスってものがやはり面白いなって思うところは作家自身とパフォーマーとお客さんが1時間なら1時間一緒にいるわけじゃないですか。そして、それ自身が作品でそれを数千円とか1万円以内の価格で皆で共有するという作品の形態というのはなにか面白いなとは再発見というか新たに思い始めました。
 アートの場合はやっぱり最終的には売るということが必要になってきて、そうじゃないと作品を作り続けられない。美術館に展示しているだけでは全然もうからないので、結局は売らないと次の作品が作れなくなってきて、ということになってくるとその作品はユニークな作品になるとどんどん値段も上がってくるし、お金持ちがサポートしてくれないとできなくなっていく。そういう意味では(パフォーマンスは)すごくパブリックな感じがするんですね。もちろん、だれに作らせるのかという選択というが入ってくるので、そんなに公平かというとそんな話じゃないんですが、見に行く人がそのことを見たいって思うことがサポートになるっていうことが強いって思うんです。そういう意味ではアートよりもフラットな感じがします。そこが面白いなと思ってそういう表現形態で、お金もかかるし時間もかかるし、維持も大変だしということですごく作るのが難しくなっていっている。
 そんな中でこういう表現形態っていうのの可能性、今までのが全然だめということじゃなくって、自分ならこういう方法でアプローチするっていうのを実験できたらなと思っています。だから「明るい部屋」みたいなフリースペース用の作品を作ってみたりだとか、そういうことをしています。劇場でしかできないものは劇場でしかできないんだなあというのを感じていたので。

——ダムタイプ時代も特に後半は海外での劇場とかプロジェクトとの共同制作が多かったと思いますが、特に日本はそうだと思うのですが欧州も次第に金銭的に厳しくなってきましたよね。そういうなかでこの2本とも特に「CHROMA」はお金はともかく、びわ湖ホールのような公立劇場がリハーサルを含め全面的に場所を提供してくれることで制作できたというのは画期的なことだったのじゃないでしょうか。 

  高谷 それはそうです。(びわ湖ホールで)「明るい部屋」をやってこういうやり方があるんだというのがちょっと分かってもらえたというのがあって次の段階としてでは劇場でつくらせてくださいという話になった感じです。劇場で言うとびわ湖ホールがマルチメディアパフォーマンスというようなわけの分からない分野に劇場を貸してものをつくるということをやろうとしているということは日本のなかでもすごく珍しいんじゃないかなと思います。ダンスとか演劇とか枠のにはまり込んでいくと(作品制作ができる)可能性も出てくるんだろうけれど、僕なんかは本当にダムタイプをやっていたというだけで、ダンスも演劇も勉強してきたわけじゃないから、そこには何か箔のようなものは何もついていないので、よくやらせてくれたなと思います。

——逆に今ちょっとマルチメディアパフォーマンスという言葉も出てきたのですが、メディアアートというジャンルができていますよね。ダムタイプが活動していた時にはメディアアートという言葉自体なかったと思うんですが、文化庁のメディア芸術祭の歴代ベストでダムタイプの作品が複数選ばれるようになっている*3わけですが、こういう状況についてはどうお考えでしょうか。
 
 高谷 そうなんですか? こっちとしてはメディアアートをつくろうとしているわけじゃなく、作品をつくるという方向で考えた時に自分たちが使えるものの中でコンピューターであるとか新しい照明器具であるとか、新しいプロジェクターをこう使いたいということがあって、それを使うということをやったらそれがメディアアートと言われているだけのことなんです。そこにそうやってメディアアートとかいう枠をかけちゃうと本当に面白いものはそこには入ってこない。使っていて面白いものもあるでしょうけど、ものすごく限られてきます。僕たちはそういうことを考えてやってきたわけではないので、これからも別にメディアアートの作品をつくりたいと思ってやっているわけじゃなくて、自分たちがやっていることがメディアアートと言われてただけのこと。今後ビデオを使わない作品を考えるかもしれないし、使わないといけないと思ったこともありません。

——それでは現代美術に対しては高谷さんはどのような距離感を感じていらっしゃるのでしょうか。

 高谷 アートとしての感動はいろんなところで感動させてもらったし自分でもそういうものをつくっていきたいと思っているので、美術とかアートにはかかわっていきたい。かかわって作品がつくれるということは楽しいしそういうことをやっていきたいとは思っています。そういう意味では美術を否定する気も全然ない。ただ、今のアート業界の中でトレンドとかがあって、そういうものを追いかける気はひとつもありません。トレンドと言われているものに面白いものがないということもあります。(アートは)もっとカッコイイものなんじゃないかという気がしてしまうからです。カッコイイというと言葉が悪いんですが、いい言葉がない。美しいものとしかいいようがないからです。

——「美しい」というのは高谷さんにとっては非常に重要なキーワードなのですね。現代美術ではデュシャン以降作品はコンセプトこそが大切で、美しさに拘ることを忌諱するような価値観が流布されているところがあると思うのですが。

 高谷 美しいものが美しいというわけじゃないんだというのはもちろんそうなのですが、デュシャンがつくっていたものはやはり美しいわけです。その次のレベルにおいて美しいじゃないですか。そういう風にはつくっていきたいと思っています。薔薇の花束のようにただ美しいというのではなくて、美しいものは考え抜かれてないといけない。
 僕たちがダムタイプをはじめた頃、一番影響を受けたのは映画でなにかみんなで映画を毎週のように見に行って、その話をしながら今度のパフォーマンスではああいうシーンをやりたい、こういうシーンをやりたいという話をしていた。やっぱりその頃、映画のなかに(今もあるとは思うんですが)本当に憧れるような「美しい」感動させるシーンがあったような気がするんですが、それが今はすごくチャチなものになっている気がするのです。そういうものをつくりだすのはもっと難しいのではないかと思ってしまう。

——造形とか見かけとかデザインに対するこだわりがすごく強いのでしょうか。

 高谷 もちろんありますね。コンセプトももちろん重要ですし、すべてが重要でそういうものを含めて「美しい」というのが存在していると思うので、そんな単純には考えていないですが。

——デザインという言葉を前に使われましたが、デザインという言葉を使うことへの抵抗感はないのでしょうか。

 高谷 僕が言いたかったのはデザインをしていくような作業でコラボレーションしているということで、コラボレ—ションということです。それを分かりやすく説明するのにデザインという言葉が出てきた。デザインと言ったのは単に技術的に僕がなぜコラボレーションをしているかというとそういう風に人と人をどうやってつなげていくかというところに興味がある。もちろん、つなげるだけで作品になるとは思っていないので互いのリスペクトがあって成り立つことだと思ってますが、そういう関係性において、僕はデザイナー的な立場。というのはアーティストというと自分の欲望であるとか、やりたいことを強力に推し進めるというイメージがある。そういうんじゃないという意味でデザインという言葉を使いました。そうじゃないときっとコラボレーションというのは無理だと思うんです。それで演劇というか舞台作品をつくる時もそういう気持ちで、皆がどういうことがやりたいのかということを理解してフィードバックしながら、自分のやりたいことをそれにうまくかぶせていく。それはお互いさまだと思うのですが、そういうことのやり合いにおいて出来上がっているのが「CHROMA」であったり、「明るい部屋」であったということです。

——高谷さんがダムタイプの活動に参加することになったきっかけを簡単に話していただければと思うのですが。

 高谷 大学1回生の時にダムタイプの前身の演劇サークル「座カルマ」に入りました。それが僕の入った年の夏に「ダムタイプ・シアター」に名前を変更した。それには直接かかわったわけじゃないけれどちょうどタイミングとしてはそういうような時に入りました。だから、立ち上げメンバーではあるんですけれども、もう立ち上がりかけていたところに入ったといってもおかしくないかもしれません。生まれは奈良で京都芸術大学ではデザイン科の環境デザインに所属していました。デザインのことに興味があって、ほかにも山岳部であるとか体育会系のサークルにもいくつか入っていたのですが、「座カルマ」もそうしたサークルのひとつという感覚でした。
 演劇には全然興味がなかった。あるいは全然知らなかった。どちらかというとデザインとかそういうことが好きだったので、身体から出てくる何かとか、そういうものにはそんなに興味がなかった。ですけど、ダムタイプというか、その時いた古橋(悌二)とか小山田(徹)とか穂積とかいろんな人がいたんですけど、そういう人たちがやっていることをちょっと見て、言葉で悲しいとかそういうことを表現するのじゃなくて、僕の場合ビジュアル、映像や照明や音を使ってひとつの表現形態を作っていくということに出会ったという感じですね。
 音楽はもちろんロックであるとかそういうのは聞いていましたけど、その当時ダムタイプが使っていたローリー・アンダーソンの音楽だとか、スティーブ・ライヒであるとか、そういう現代音楽から現代アートの作家が作っているローリー・アンダーソンなんて本当に微妙なところですよね、音楽なのか、演劇なのか。まあ、ライブパフォーマンスなんですけれども。そういう作り方があるんだというのに出会って面白いなと思ったんです。
 どう言ったらいんんでしょうか、なんか演劇というと例えば貧乏とか人生の苦悩をなんとか晴らすというようなイメージがあったのが、全然違う。コンサートに近いなという感じがしたんですね。僕にとっては。でもコンサートではもちろんなくて。それでその当時ローリー・アンダーソンとかロバート・ウィルソンとかいろんなパフォーマンスを作る人が出てきていて、そのちょっと前には寺山修司さんとかがいた。寺山修司さんなんかはその世代とはだいぶ違いますが、僕がその時の見方として、音楽と言葉と身体を使った表現として十分にカッコよくて、いろんな問題定義もされていたとは思うんだけれど、それだけじゃなくて、表現としてすごく突き刺さってくるものがあった。それで自分もそういうものにかかわってみようと思ったのです。

——当時の中心メンバーの人たちと比べると少し若かったんですよね?

 高谷 そうですね。山中(透)さんなんかよりは3つとか下です。ダムタイプをはじめた当時のスタート時点では1回生だったので一番若かった。 

——最後に今後の予定で分かるところをお教えいただけると有難いのですが。

 高谷 来年(2013年)の7月にフランス・マルセイユに「CHROMA」を持っていって上演します。その前にアラブ首長国連盟(UAE)のシャルジャのビエンナーレが展覧会に作品を出す予定です。来年秋にはYCAMの10周年で坂本龍一さんとつくった「LIFE」のインスタレーションをつくるのとその時に同時に新しいインスタレーションもつくろうかというのを計画しています。12月に東京都写真美術館で個展をやる予定です。
 その前に京都でずっと何年か前から話が進んでいるのですが、キョウトグラフィーというのが4月にあります。写真展なんですが、場所がまだ決まってないのだけれどサイトスペシフィックなものにしたいと言ったらいろんなお寺をいま探してくれています。これはフランスで有名な写真のフェスティバル「アルル国際フォトフェスティバル」というのがあって、それの中心になっているルシールさんというフランス人のフォトグラファーが震災の後、京都に引っ越しをしてきて、京都で写真をメインにしたイベントをやりたいというので昨年からがんばって準備を進めているのですが、最初は小さい規模からはじまるのだけれど、そこにインスタレーションを出そうと考えています。

*1:サイモン・フィッシャー・ターナー(Simon Fisher Turner、1954年11月21日-)はイギリスのミュージシャン、作曲家である。主にデレク・ジャーマンの映画作品にサウンドトラックを提供したことで知られている。

*2:1 《光学》彩度:鮮やかさの度合い.2 色の濃度, 色度.

*3:文化庁メディア芸術祭10周年企画アンケート日本のメディア芸術100選【アート部門】30位「S/N」、32位「OR」、36位「pH」、38位「LOVERS」(古橋悌二ソロ、遺作)

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