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平成の舞台芸術回想録第二部(1) 弘前劇場「家には高い木があった」

 第一部では1990年代を代表する作家として、平田オリザ*1松田正隆*2を取り上げたが、現代口語演劇の名手としてその二人に匹敵する実績を残した長谷川孝治(弘前劇場)の存在を忘れるわけにはいかないだろう。弘前劇場青森県弘前市に本拠を置く地方劇団だが、その活動は海外公演や国際的な共同製作に及ぶなど東京や関西の有力劇団と比べても、なんら遜色がなく、その劇団員から長谷川に加えて、第一部で取り上げた劇団ホエイ*3の山田百次、第二部で取り上げる予定の渡辺源四郎商店の畑澤聖悟と日本トップクラスの劇作家・演出家を輩出したという点においても稀有な存在だったといえよう。

生活言語としての方言を舞台に

 弘前劇場の演劇は平田オリザが提唱した「現代口語演劇」の延長線上にあるものだが、生活言語としての地域語(方言)を舞台に上げることで、登場人物の会話の端々から、その隠れた関係性を浮かび上がらせるという点では共通語(東京方言)を主体とした平田や岩松了らよりも有利な立場を得ている。「言葉はその人物同士の関係性によって変化する」というのが、「関係性の演劇」の前提だが地域語では同郷の親しい関係にある友人ないし恋人同士の場合の方がよりなまりは強くなる(特に弘前劇場が本拠を置く青森県の地域語、津軽弁はほかの地方の人にとっては意味をくみとるのが難しいほど特異な言葉である)、逆に公的な場ではほぼ共通語に近い言葉が話させるなど、よりビビッド(鮮やか)に関係による言葉の変化の様態がとらえられる。ここに一般には不利とされる地方に拠点を持つ劇団という特性を逆に利用して、東京の演劇では不可能な演劇的な実験を行ってみせた長谷川のしたたかな戦略があった。

長谷川孝治松田正隆の「関係性の演劇」

 長谷川の代表作であり、現代口語演劇の古典として後世にも残りそうなのが、「家には高い木があった」(1997)だ。初演以来これまで何度も再演されたほか、ドイツの演劇フェスティバルでも上演され高い評価を受けた。井戸掘り職人をしている祖父の葬儀にひさしぶりに故郷に集まってきた3人の兄弟(とその妹)を描き出す。松田正隆の「月の岬」がかつて海で亡くなった父親という不在の中心を核に構想されていたとすれば、「家には高い木があった」で描かれるのも祖父の不在だ。この不在が登場人物それぞれの微妙な影を落としていくさまを微細に提示していくという意味で典型的な「関係性の演劇」。「不在」は戦後における家族の崩壊という小津安二郎も何度も繰り返し描いてきた好みの主題にもつながり、長谷川が愛した古き良き日本映画へのオマージュもこめられている*4といっていいかもしれない。
 1997年の初演は演劇情報誌JAMCi10月号に劇評を書いた。ちょうど上演時期が相前後したこともあり、松田正隆の「月の岬」との比較分析をしている。

演劇情報誌JAMCi10月号

掲載誌は上記だが、せっかくなので抜粋を再掲載することにしたい。

長谷川が描き出すのはあくまで現代だ。芝居は祖父の葬式に集まった神崎家の4人の兄弟(妹)を巡って展開する。スタイルは基本的に群像会話劇で速射砲のように交わされる会話によって登場人物のかかえる様々な問題が浮かび上がってくる。兄弟(妹)は孤立した存在ではない。幼き日の光景が郷愁をもって語られる瞬間はあっても、現在に生きる限り、夫の不和による苦しみや故郷を捨てる決心など彼ら兄弟(妹)の思いはもはやひとつではない。それぞれが自分の家では教師という職業に従事し、その関係は遠く離れた故郷にも、例えば恋人からの電話や連れてきた夫などの形で実家にいる兄弟につながっているのだ。祖父の死は家族関係の喪失の象徴であり、したがって離れの窓の外には現在も高い木はあるのに「家には高い木があった」と過去形で語られないとならない。

さらにこちらは2004年の再演の際の観劇レビューである。戯曲や演劇としての構造などには初演の時に筆をさいたので、こちらは弘前劇場と俳優のことに重点を置いたものとなっている。

 弘前劇場の主宰である長谷川孝治の代表作である「家には高い木があった」を彼らのホームグラウンドであるスタジオデネガで見た。この芝居が初演されたのは97年であり、今回は4回目の上演である。舞台は祖父の死にともない葬式に集まってきた神崎家の四人の兄弟(妹)を巡って展開する。この四人のうち、福士賢治(長男)、畑澤聖悟(次男)、後藤伸也(三男)は初演以来同一キャストで演じられてきたが、今回は後藤が退団したこともあり、青年団から永井秀樹が客演し、三男役を演じた(長女は森内美由紀)。
 「家には高い木があった」は弘前劇場のなかでも単に代表作であるということを超えて特別な芝居である。それは初演の時に劇団の中心的存在であった四人の俳優に四兄弟(妹)の物語としてあて書きされた登場人物がその当時にそれを演じた俳優の実年齢に近く設定されていたのが、再演ごとにその時の俳優の年齢に合わせて作り直され、「俳優とともに成長していく舞台」と長谷川が位置付けたからである。
 俳優が年齢とともに熟成していくのに呼応してこの舞台も熟成していく。そんな年代もののワインのような味わいを私たちに感じさせてくれるのが「家には高い木があった」という作品なのである。その意味で今回の舞台を実際に見て感慨深かったのは長男を演じた福士賢治の存在感である。
 最初に「職員室の午後」という舞台で弘前劇場の芝居と出合った時からすでに福士賢治の東京や関西の俳優にはちょっといないんじゃないかと思わせる独特の存在感には驚かされてきたのだが、今回の「家高」での福士の演技にはその中でもついにここまで到達したのかというような俳優としての特別な境地を実感させるものがあった。
 それは奇跡のようなことがごく稀に起こる演劇ならではの奇跡の瞬間と表現することもできる。だが、優れたワインを熟成させるには偶然だけではないさまざまな条件(良質なぶどうの収穫、丹念な管理、醸造の高度な技術)が必要なようにこの舞台の初演以来、あるいは弘前劇場の旗揚げ以来のさまざまな試行錯誤の連続がいまここに必然としてその瞬間を起こしたのだと考えたい。
 「ローマは1日にしてならず」というが現代口語津軽弁演劇という弘前劇場の独自の方法論が作り出す速射砲のせりふの嵐によって提示される登場人物のかかえる様々なドラマ。それをささえ、緊密なアンサンブルを織り成す弘前劇場ならではの個性的な俳優たち。今回に関していえばそれまでの3回の舞台で三男を演じてきた後藤伸也とまるで違う役作りながら、情けない男の造形に抜群のさえを見せて好演した永井秀樹の客演も大きかった。しかし、これも偶然ではなく、青年団とのこれまでの長年の付き合いのなかから、長谷川がある種の確信を持って依頼した配役であるし、永井がそれにこたえることが可能だったのはそれまでの弘劇との交流で出演は初めてであっても芝居を何度も見ていることも含め、長年の信頼関係があってのことであろう。
 手前で小声で話をしている永井と畑澤の背後で、そうしたすべてのことをまるで背負うかののようにその直前に酒に酔って布団のなかで寝かせられた福士が静かに上半身を起こす。そして、観客に背中を向け、静かに煙草をくゆらせる。この芝居の最後の場面である。その物言わぬ背中が雄弁に語りだす万感の思い。それはそんじょそこらの俳優にはけっして出せない成熟した男だけが持っている味わいだ。
 弘前劇場の福士賢治はこの瞬間、自らの集団を持つ演出家であればだれもが「こんな俳優がひとりいたらなあ」との夢想を抱くような「夢の俳優」であった。

 福士賢治は弘前劇場のチラシなどでは名前を見ることができなくなって久しいので、退団したのだろうと推測していた。俳優もやめてしまったのかと思っていたが、今回の文章のために調べてみると昨年(2019年)空間シアターアクセプ*5という劇団の公演で舞台に上がっているようだ。

 弘前劇場は現在は活動を縮小してしまったようで、ネットで検索してみても最近の活動の情報は見つけることができない。残念なことだが、どういう形であったとしてもこの「家には高い木があった」だけはどういう形であってもかまわないので再演の舞台をいつか見てみたい。
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映画『この空の花 長岡花火物語』予告編
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*1:simokitazawa.hatenablog.com

*2:simokitazawa.hatenablog.com

*3:simokitazawa.hatenablog.com

*4:松田正隆が晩年の黒木和雄監督と組み、映画「紙屋悦子の青春」「美しい夏キリシマ」の脚本を担当したのに対し、長谷川孝治大林宣彦監督とかかわり「この空の花 長岡花火物語」の共同脚本、「野のなななのか」の原作を担当した。

*5:artalert-sapporo.com

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