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家族ともっと自然体で過ごせるなら|つれづれなるエッセイ

友人の言葉を聞いていて、どうしても姉のうつ時代のことを思い出し、ちょっとうるっと来た話を書き残したい。

そもそも当時の記憶は思い出そうとしても思い出せないけど、私が今まで思っていたよりも、自分にとっても家族にとってもつらく苦しい数年だったのは間違いない。

私の感覚としては、その時期を「乗り越えた」というのは違う。

当時、中~高校生だった私は、見ない・聞かない・言わないをして「落ち着くのを待った」感覚。それしかできなかった。家族の誰にもきっと余裕はなかった。家族の関係性が荒んだ状態に心を痛めていたとしても、それに気づく人もいなければ、慰めてくれる人もいなかった。自分のことは自分でしなければいけなかった。

当事者のそばにいたくせに、自分もつらい思いしたくせに、感じないふりを今の今までしてきてしまったなあと、がっくり肩を落として深いため息をつく。家族の中でケアし合う感覚は今でもない。

今の私は家族とどう向き合っていけばいいんだろう。
私はどう向き合いたいんだろう。

家族のことを考えると、みぞおちが痛い
積もり積もった心の痛みが熟れすぎた桃のように
触れるとどろどろに崩れじくじくしている
鳥肌が立つ
嫌悪感、吐き気
足先が冷たくなる
悲しい、絶望
頭、目の奥がじんとする
尿意
いらつき、胸やけ
家族と楽しくいることを許したくない自分
どうせわかってくれないから話をしない

一方で
本当は家族と楽しく過ごしたい自分
家族の前で自然体でいたい自分
もいることがわかる


ちょうど今月末、数年ぶりに家族旅行で下田に行くことになった。

私はそのタイミングで、自分が本当に望む接し方で家族と過ごせることができたらと思っている。もちろんうまくいかない可能性だってあるし、うまくいくとも思っていない。でも、自分が願うあり方を歪めることはやめることにした。

家族と他愛ない話をする
いやな返しをされてもスルー・気にしない
自分が楽しくいることを最優先する
写真を撮る
移動を楽しむ。会話を楽しむ。起きることを楽しむ。

自分の在り方の変化から何がうまれるだろう

こわくもあるけど、楽しみでもある。

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