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書くということ、撮るということ

はじめまして。simizarといいます。
もともと文章書くのはそんなに得意ではないのですが、小中高は国語の安定した評価点で他の科目(というより国語以外の科目)の点数を補っていました。

はっきり言って私の文章はとても冗長です。ただ文字数を稼げばいい作文の課題(と言うといろんな人に怒られますが)ならまだしも、貴重な時間を割いて読んでいただく文章なんぞ全く書いたことがありません。ましてやニュースは一行、インパクトで済ませることが重要なこのご時世に私の文章は全く逆行していると思います。

それでもなぜ書くか。それは写真を撮るのと一緒で、常に書いていないと書き方を忘れてしまいそうで怖いからです。

私はカメラを握り始めてもう10数年になるのですが、体調を崩して1年ほどカメラから離れた時期がありました。ようやく体調も回復し始めてカメラを持つ気になったので撮ってみたものの、帰宅して見返してみても満足のいく写真がほとんど撮れていない。これはまずい。

自分が納得できる写真を撮るのがこれほど大変だとは。

幸いデジカメのおかげで、今は写真を撮るのにフィルムの時代ほどお金は掛かりません。今ではなんとか、100枚撮れば10数枚は気に入った写真が撮れるまでになりました。

文章も同じように、常に何かをアウトプットしていないと、あっという間に納得できるものが書けなくなります。

自分の考えていることを誰かに”正確に”伝えるのは想像以上に難しいです。生物学的には同一とは言え、自分以外の人は別の生き物だからです。別の生き物同士をつなぐツールとして言語というものが生まれましたが、その言語をもってしても意思を伝えるというのは容易ではありません。もし私が医師だったら、劇薬を投与する量の伝え方を失敗して何人殺していたかわかりません。

このnoteは、そういう容易ではないことを鍛えるために自分に課したワークです。内容は私の主たる趣味であるカメラとかコンピュータとかその他諸々を月に数回程度、記事にすることになるかとは思いますが、その背景として私自身の「伝える力」を鍛えるという実に勝手な目的があるということをご了承いただければと思います。

そして、せっかく読んでいただくなら、私の知識や経験を織り交ぜて、少しばかりは読者の皆様の暇つぶしになったり、お役に立てるようなものにしていただければと思いますので、生暖かい目で見守っていただければ幸いでございます。

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