【夢小説 012】 夢肆位「飛行機と半券(4)」
浅見 杳太郎
しばらく、こんなふうにはしゃぎながら通路を進んで行くと、突然右側のカゴから、おぎゃあという声が響いた。
驚いた。何だろうとカゴの中をのぞいてみると、そこには赤ちゃんが横になっていた。赤ちゃんと言うには少し大きすぎるような気がするけれど、オムツを着けているのだから、やっぱりこれは赤ちゃんなのだろう。
ぼくは他のカゴものぞいてみた。すると、さっき公園で遊んでいた子も寝ていた。この子は赤ちゃんの格好はしていなかった。さっきと同じ服装のまま、気持ちよさそうに眠っていた。
うらやましくなった。ぼくもこのカゴの中で寝てみたくなった。ものすごく寝たい。そこで、羊に寝たいと言ってみた。
「そんなに寝たいの?」
「うん」
ぼくは間を置かずに応えた。
耐えられない。このカゴの中に入りたくてしょうがない。入りたくて入りたくて、思わずあそこをもみもみしていた。これ以上じらされたら、おかしくなりそうだ。
「ここ、空いてるみたいだよ」
羊がそう案内するやいなや、ぼくは飛び込むようにカゴの中に入った。
ああ、ああああ、これヤバイ。ホントにすっごくヤバイ。すごい気持ちいい。安心する。あったかい。ここであそこ揉んだらどうなるんだろう。あっ! あああああ~、これやると、ほんと溶ける。自分が液体になったみたいだ。体がだんだん丸くなっていく。ぼくのあそこもどんどん縮む。これじゃあ、揉めなくなっちゃう。でも、ここなら揉まなくても不安じゃない。ここには置き去りにされる相手はいない。焦りもない。負い目もない。温かく包まれる、ぬくぬくとした緩やかな一体感があるだけだ。
ぼくは溶ける。
ぼくのあそこも溶ける。あそこが……ああ、溶ける。なくなる。
ぼくはあそこがなくなったから、仕方なく手持ちぶさたな指を口にもっていった。口はまだある。親指を口に入れる。すごくおいしい。何これ。すっごい甘い。どうせ、しだいに口もなくなっていくんだろうけど、まあいいや、口なんかなくなったって。不安じゃないから、このまま丸くなって、球になればいいんだ。この人肌のような温水の中で、ふやふや自由に泳ぎまわればいいんだ。でも、完全な球になっちゃうと、浮かぶばかりだ。少しは移動できるように、尾っぽの一本くらいは生やしておこうか。そうして尾っぽをフリフリ、ぼくはこの温かい海の中を好きなように泳いでまわるんだ。
そんなふうに、ぼくは、来たるべきぼくのための優しい世界を想像してうっとりとしていると、どこからか手がにゅっと伸びてきて、ぼくのなくなりかけた腕をぎゅっと掴んで強引に引っ張り上げようとしてくる。
ぼくは、抗議した。
「何だよこの手は、邪魔すんなよ」
やだ、邪魔する。
「何で邪魔すんだよ! 人が気持よく溶けてるのに!」
溶けちゃダメ。
「何で溶けちゃダメなんだよ。こんなあそこ揉むだけの手なんて溶けた方がいいんだ」
よくない。わたしその手好きだもん。
「何だよ、お前、誰だよ? こんなしょんべん臭い手なんていらないんだよ! お母さんだって、そんなとこ触るんじゃありませんって、いつもぼくを叱るんだから」
いらなくない。触ったっていい。触った方がいい。
「何で触っていいんだよ! いいわけないだろ」
いいわけある。だって、お兄ちゃん、オトナになるんでしょ? 溶けちゃったら、赤ちゃんよりコドモじゃない。私よりオトナだからお兄ちゃんなんでしょ?」
「お兄ちゃん? お前、……子か? ああ、口が溶けはじ……て上手くしゃ……れな……」
オトナだっておチンチン触るじゃない! オトナの方がおチンチン触るじゃない! わたし知ってるもん。オトナのパパだって触ってるもん。だから、溶けちゃったら、お兄ちゃん、わたしよりずっとコドモになっちゃうってことなんだよ。そんなの恥ずかしいじゃん!
「……子か? ……子なのか? うん、ぼく……方がオトナ……よ。引……張って、手引っ張……」
ぼくはそこで、ぬがばっと目が覚めた。と言うよりも、ずっと覚めていたような気がする。とにかく、ぼくは天井が極端に低いこのフロアに戻って来た。カゴの外の通路に無造作に突っ伏していた。
口は溶けていない。手もある。その手を、妹がしっかり握っていてくれた。ぼくは、妹に向かって照れ隠しの苦笑いをした。妹は、「お兄ちゃん」と言って、手を強く握り、少し甘えてきた。
ぼくが入ったカゴの方を見ると、ネズミがくんくん鼻先をさかんに動かして中の臭いを嗅いでいた。このカゴの底には白く濁った液がどろりと溜まっていて、それはぼくが溶け始めた時に出たものなのかもしれない。
近くにいたネズミたちは、その液に向かって一匹また一匹とかぶり付いて行き、われ先にとペロペロやり始めた。さらに、それに気づいた遠くのネズミたちも、チュッチュッと鳴きながら勢いよく集まって来たものだから、ぼくらは再びハイハイの姿勢で、お尻をふりふり、急いでこのフロアの外へと避難した。ドアが閉まるまで、後ろからは、ぺちゃぺちゃと気味の悪い音が鳴り響いていた。危なかった。
廊下を進んで行くと、またドアが現れた。このドアはふつうの高さだった。
「ここが最後の部屋だよ。操縦室。入るかい?」
羊がそう尋ねてきたから、ぼくと妹は、もちろんとうなずいた。
「伯爵がいるよ」
羊のその言葉に少しどきりとしたけれど、最後まで行かなきゃ意味がないような気がした。だから、もう一度、うなずいた。
ドアを開けると、多くの機器がところ狭しと壁にくっついていた。まさにコックピットだった。そしてヤギの伯爵がいた。得意そうに左側の機長席を陣取っていた。伯爵はこっちにふり返り、メ~と鳴いて自分でびっくりした。
「よくここまで来た、メェ~。他の子たちはみんな、安心しきって老人になったり赤ん坊になったりしておるというのに、メ……メ~。お前たちは変わり者に違いあるメェ~。リクライニングにもたれたり、保育器に入っていたりする方が、楽ちんだというのは当たりメェの話だろうに……メ、メヘェ」
伯爵は、ぼくらがここまで来たことと、うっかり出てしまう自分の鳴き声と、二つながらに驚きながら、濁った黒眼をまん丸くしていた。
ぼくはやっぱり、伯爵が言う「楽ちん」な過ごし方は気味が悪いと思った。伯爵の眼と同じくらいに気持ちが悪い。伯爵は、その気持ち悪い眼をぼくらにぬうっと近づけて、言葉を続けた。
「とにかく、お前たち、羊を連れてここまで来たということは、メェ……『哀願』の半券を持っておるであろう、ミョヘェェ。見せたメェ~」
ぼくと妹はポケットからその半券を取り出して、伯爵に見せた。伯爵はちらっと羊を見た。
「確かに『哀願』だメェェ。褒美をやる、メェ~ホェ。この飛行機、くれてやるメェェ。好きなだけ、映画観て、保育器で寝るとよいメェ……エ」
ぼくはこんな飛行機いらなかった。
妹もぼくの眼をしっかり見て、首を強く横にふった。ぼくたちは、こんな飛行機に乗ってちゃいけないと思った。こんな飛行機に乗るには、ぼくたちは元気がよすぎるのだから。そして、伯爵に言ってやった。
「ぼくたち、こんな飛行機いりません。その代わり、あの他の子たちもぼくたちと一緒に帰して下さい」
伯爵はメェ~と言って仰天した。
それでも腑に落ちない伯爵は、「しかし」と、しつこくぼくたちの説得を試みる。伯爵のどろりとした顔が近づいてくる。でも、ぼくたちはもう怖くない。伯爵が言葉を継ごうとして、瞬間うっかり出てしまった自分の鳴き声に、またも自分でびっくりしているその隙をついて、ぼくたちは二人でこう言い放ってやった。
「やだ、みんなと帰る!」
その大声で伯爵の濁った黒眼はもずくのようにぐしゃぐしゃになって、そのはずみで伯爵は操縦席から落っこちてしまった。そして、ぼくたちは大きく口を開けて笑った。
羊は、ぼくたちみんなを外まで案内してくれた。ぼくは、羊にさようならと言った。妹は羊に抱きついた。他の子たちは、夢の続きを見ているみたいなふわふわした足取りで、階段を危なっかしく降りて行った。ぼくらも羊を何度もふり返りながら、階段を下って行った。
ぼくらが地面に着くと、またネズミたちがチュ~チュ~やって来て、粒の汗をかきつつ、階段をどこへともなく運び去って行った。その神妙でこっけいな作業に目を奪われている隙に、あの大きな飛行機は公園からこつぜんと姿を消していた。
ぼくは、ぶるっと震えた。
そうだ、おしっこしたかったんだっけ。ぼくは公園の茂みに入って、小さいあそこをズボンからぺろんと出した。いつものようにあそこの先を両手の人差し指と親指で支えながら、おしっこをしようと構えたら、その付け根にちょろっと一本の細い毛が生えていることに気がついた。
なあんだ、この毛、結構格好いいじゃん。
そう思えて、しっかり支えながら、前方やや上向きに勢いよく放水してやった。ぼくのおしっこはきれいな弧を描き、ぱしゃしゃと気持ちいい音を立てて、公園の草むらにひっかかった。
おわり。
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