コンビニ弁当を味で選べずにいる

コンビニ弁当ってありますよね、コンビニエンスストアにて販売されているあのお弁当。
知っていますか?コンビニというのは基本的に24時間営業で、今やそこで販売されているものは24時間手に入るものとなっている。

つまり日本全国24時間春夏秋冬いつでもお弁当が食べられるのだ。
凄くないですかこの事実、正直異常なことだ。
人類史上有り得たことのない状況だと思うし、あまりに素晴らしい。
しかしこのテクノロジーには私の想像だにしない問題が存在した。


いや大げさに言い過ぎた、問題があるのはコンビニが誇る技術にではなく私が持つ面倒で鬱陶しい思考癖の方だった。
コンビニ弁当を味で選べずにいるというのはどういう事かというと、コンビニ弁当を買い、電子レンジで温め、ホカホカお弁当を食べる。

私はその一連の流れをこなしている最中、一つの思考に囚われていて味のことなどはまったくもって知覚できていないのである。
本当にまったくもってだ、この記事自体コンビニ弁当を食べた後に書いている、ファミリーマートの3色そぼろ&チキン南蛮弁当。

このお弁当がどんな味だったかは既に思い出せず今となっては3色そぼろご飯とチキン南蛮の平均値的な味を想像し、そのイメージを数時間前に食べたお弁当像にラベリングして味のイメージを補完したイマジナリーお弁当を脳内で構築することしかできない。

そしてその一つの思考が何なのかというと。
……コンビニ弁当に費やされている技術、凄すぎ…ということ。

分かります、滅茶苦茶にしょうもないことだというのは自覚しています。
しかしこれが考えれば考えるほど途方もないことの積み重ねだと気づいていってもうどうしようもない領域まで達してしまっているんです。
コンビニ弁当の狂気に触れ、啓蒙を得てしまっている。
さながら脳内に生じた上位者的瞳の如し。

24時間営業のコンビニでお弁当コーナーの前に立つ時、個性豊かなお弁当のラインナップを眺めながら思う、利便性に加え様々な客層とその都度の流行り廃りにまで気を利かせ、そのニーズにまで答えようとしているのかと。
作りに狂気的な熱意を感じる、アークシステムワークスの格闘ゲームか?

購入後帰宅し自宅の電子レンジでお弁当を温める、買ってきたままの物体をそのまま電子レンジに放り込むだけでお弁当が食べられる、たった数分で。
今自分は何かしらの悪事に手を染めているのではないか、何かに加担しているのではないかと思ってしまう、全てが簡単すぎる。
バナナを食べるほうが手間だと思えてしまうほどに。

飲み物を用意し、お弁当の包装を取り除きプラスチックの蓋を取る、ソースがかかっているタイプのおかずに乗せてある透明でペラペラのアレを取ってお弁当の蓋によける。バランもよける。
お弁当をまじまじと、解体でもするかの様に食べ始める。


気が付くとお弁当が空になっている。
ああ、今回もか、今回も無駄な思考に支配されてお弁当の「味」の部分にまで意識が到達することは無かった、無念。
でも途中で思考が阻害されなかったということはこのお弁当も特別不味い訳ではなかったんだろうな、良かった良かった。

まあそんな具合で、私はいつまで経ってもコンビニのお弁当に新鮮に驚き続けるのに忙しく、その味を味わえずにいる。

コンビニ弁当を味で選べずにいる、私にとってのコンビニ弁当は満腹感と思考の種を同時に得られるだけの物なのかもしれない。
おそらく今後も私は、コンビニ弁当を味で選べずにいる。

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