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共生型地域的フリーランスとミニマリズム ー人生の搾取から軽やかに逃れる方法ー

  コロナ第七波のなかで、いろいろなイベントが復活もしている。私は、人のいないところにドライブしている。ダムや山や誰もいない資料館などだ。車は親父に借りている。もともと、車には興味が薄い。カプチーノの赤とか、S660とか、コペンとか、乗りたい車は、オープンカーのスポーツカーだが、物書き稼業をしている若者にとって、車ローンは背負えない。親父にガソリン代だけ渡して、ドライブの旅に出る。実家は里山にあって、生活費は入れるが、家賃は払わなくていい。母の手料理は、もしかしたら、世界でもっとも旨いかもしれない。それは合理的な問題から離れた、ごく個人的な精神的な出来事なのだ。

 あまりにも卑近な話だが、田舎の実家でカーローンを背負わないで生きるのは、生活費がほとんどかからない。コーヒーは好きで、ECで買って、少しお高いモノを飲むが、それもセール品だから破格で購入できる。服も大抵、ZOZOTOWNでネットで、セール品を買う。街には月に1回ほどバスで。飲み会は職場のNPOの忘年会で、職場の調理士のおばあちゃんに渡すのみである。これがまたいい飲み会なのである。

 街にいると、やれ缶ジュースだ、アイスだ、ラーメンだと小銭が飛んでいく。電車賃もかかるし、たまにスタバに入ってしまう。街というのは収益体制のために小銭を落としていくようにできている。田舎ではそれの抑圧がない。それはお金がないと不能な人間という強迫観念につながる。

 何で遊ぶか、それが重要だ。図書館で本を借りてきたり(私は登山用リュックサックに詰めて帰る)、AmazonPrimeで映画を観たり、SpotifyやYouTubeで音楽を聴いたり、radikoでラジオを聴いたり、図書館で絵画を見たり、CiNiiで論文を観ている限り、人生はほとんど意味のあるものになり、お金はほとんどかからないものになる。

 大きな出費は旅だ。バリ、チェンマイ、チベット、ブータン、ネパール、ポートランド、モンゴル、韓国からベトナム経由でインドへ。やはり安いアジアが中心だ。いずれ結婚したいので、貯蓄も怠惰ではいけない。

 車を持つことに、どれほどの価値があるだろう。私も運転を覚えたての時、なんだか、偉い人になった気がして、いい車を買いたくなった。でも、まあ、安いのか、今はやめておくか、と思った。車が趣味な人を否定しないが、カーシェアリングをして、カーローンから自由になって、旅などに使うのも、なかなかおいしい人生だと思う。

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